♯3 “自称”霊能力者

―120%否定論―




前項で私は幽霊の存在を70%否定したが、それ以上に霊能力者、霊媒師、(現代の)陰陽師という肩書きを私は120%否定する。
先にお断りしておくが、ここでは霊感の有無を否定しているのではなく、霊能力者、霊媒師、陰陽師と名乗っている人々の言ってる事がいかに詭弁かと言う事を立証しようという試みである。

死んでも成仏できない魂などが幽霊となってこの世に現れるという。
しかし、それは人間に限ったことなのだろうか―――ふと疑問に思った。
犬、猫、蛇などが化けて出たという話は有るが、(私が知らないだけなのかもしれないが)魚類、昆虫、植物などの幽霊の話を聞いた事が無い。
妖怪譚としては、狐狸の類はもとより、牛、馬、猿、熊、鯨、鼠、鶏、雀、鯰、蛇、亀、スッポン、蛸、蟹、岩魚、蜘蛛、ムカデ・・・果てはクラゲまで、あるいは何百年という歳月を経た古木、更には「付喪神」と言ってありとあらゆる無生物にも霊は宿るという。それなら尚更のこと人間が死んで幽霊として現れるのなら、命有るものすべてが幽霊として現れても不思議ではないのではないか?
それこそ何かの歌ではないが、「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって」幽霊が存在したとしても不思議では無い。
もっとも、それらを見る機会が無い、或いは見たとしてもそれを幽霊と認識していないだけだと言われればそれまでなのかも知れないが、それだけの理由では私を納得させるには不十分すぎる。
屁理屈と言われるかもしれないが、幽霊の存在を肯定する事は、言うなれば、岩に付着して一生を終えるフジツボなら(フジツボの)地縛霊が存在しても不思議では無いし、感情を持つといわれるサボテンが枯れたなら幽霊になっても不思議では無い、という理論になるような気がする。もっと言うならば、古代に絶滅した恐竜の幽霊が出てもそれこそ不思議では無い。

よく、“自称”霊能力者と名乗る輩が、「何時代の武士(或いは僧侶、女性など)の霊が見えます」などとのたまうが、それならば、よく“自称”霊能力者が口にする、人間、狐狸、犬、蛇などの霊という“常套句”以外のありとあらゆる生物の霊が見え、また人に憑依することも往々にしてあるのではないのか?
“自称”霊能力者に言わせれば、憑依するだけの力を持っているものといない物がいるとか、或いは憑依する性質の物と憑依しない性質の物がいるなどと言うのだろう。何とでも言えるさ、その存在を肯定することも否定することも立証出来ない存在なのだから。

地球が出来てそこに生命が誕生してどれだけの歳月が経っている?
そして、その間にどれだけの生命が生まれては消えていったことだろう。
全ての死んだ生物が幽霊にならなくとも、たとえ輪廻転生が有ったとしても、幽霊という存在が実在するのならこの地球上は幽霊で溢れ返って足の踏み場も無いほどだろう…それら全てが“自称”霊能力者には見えるというのだったら驚きだ。
“自称”霊能力者なら、顕微鏡を覗けばプランクトンの幽霊だってみえるとでも言うのだろうか。
プランクトや恐竜の幽霊が見えるという“自称”霊能力者が居られるなら、一度会って話してみたいものだ。

追い討ちを掛けるつもりは無いが、こんな話を見聞きした事がある。
ある人がどうも何かに取り憑かれているようなので、“自称”霊能力者という人に見てもらったところ、「地縛霊が憑依しています」と言われたと言うのである。こんなにも荒唐無稽な話があるだろうか。
(幽霊が存在する事を大前提にしての話だが)地縛霊とは、事故や自殺で亡くなった人が成仏できずその場所から離れられない霊と一般的に定義されている。霊障を及ぼすならいざ知らず、どうやって地縛霊がその人に付いて(憑いて)行けるというのか… まったく詭弁もいいところである。
また某TV番組を見ていると、“自称”霊媒師が霊に取り憑かれた人にお祓いをしているのだが、その“自称”霊媒師の言う事が全くもって素敵である。
「この人にはお稲荷さんが憑いています」といった旨のことを言うのである。
「狐憑き」というのは古くからあるが、何故?どうして?「お稲荷さん」が憑依するのだ?
ご存知の方はすでにピンときたと思うが、俗に「お稲荷さん」と呼ばれるものは、厳密には倉稲魂命(うがのみたまのみこと、宇迦御魂尊、宇賀御魂尊とも表記)と呼ばれる神で、須佐之男命と神大市比売命の間に生まれた穀物の神なのである。
そもそも記紀(古事記と日本書紀)に現れ、日本各地に祀られている穀物の神がいちいちその辺にいる人間に取り憑いてどうなるというのだ?
仮に、その憑依されたという人がお稲荷さんに対して失礼があったとしても、もし神が存在するなら、そのような低レベルな事をしなくとも居ながらにして神罰を下せば済む事であり、いちいちその人に取り憑くほどヒマでもないだろうし、取り憑く以外手段が無いほど非力でも無いと私は思う。
私に言わせれば荒唐無稽というか無知蒙昧というか、苦笑するしかない話である。

何故、人は人の幽霊しか見えないのか…
そこには、結局人間の無意識下の先入観や心理が働いているのではないだろうか。
時に恐怖心、時に錯覚、時に思い込み、時に自身の理解の範疇を越えた事象に遭遇した時、時に良心の呵責、時に自己弁護、時に思い違い…それらが幽霊を作り上げる土壌なのである。
ミミズやアメンボの幽霊が出てもさほど怖くないだろう。ある意味、怖いから幽霊なのだ。
見たことも無い恐竜の幽霊なんて見ることは出来ないだろう。

結局はそんなものなのかもしれない…






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