花 束

投稿者 : Black Velvet

フラッシュバックとまでは言わないが、ある日突然、体験したことさえ本当にあったことだったのだろうかと思うような記憶がよみがえる事がある。

どれくらい昔の事だろう。
30数年、否、ともすれば40年近く前の事。
当時、兵庫県内の古城址探訪を熱心にしていた私はある山城を訪れていた。今ほど城めぐりがブームでもなかった時代、建物も石垣も無いような城址は余程の城好きでもなければ訪れないような所だった。特に整備されている訳でもなく、そこが城址と知らなければ雑木と雑草に覆われたただの山と言っても過言ではないような場所だ。
削平地、堀切、自然の地形を生かした城址を楽しむには雑木や雑草を掻き分けて、道なき道を進むこともよくある事であった。
それほど急峻な山ではなかったが、道なき道を歩き回ったせいだろう、道に迷ってしまった。
山で道に迷った時は尾根伝いに歩くのがセオリーであることは知っていたが、どこをどう歩いたのか気が付けば谷底(沢)のような所を宛てもなく歩いていた。
どれくらい歩いただろう、そんなに高くも険しくもない山のはずが、同じような所をウロウロしているのか一向に山を降りれる気配が無い。
まだまだ日は高かったが雑木林の中ということもあって薄暗く感じる。そんな事さえ私の不安に拍車をかける。

ふと視界に違和感を感じる。
一面落ち葉の絨毯で茶色一色の世界に何か極彩色の物が目に入った。
目を凝らしてそれを確かめるようにしながら歩を進める。

それは供えられたばかりの花束だった。
今となってはそれがどんな花だったのかは覚えていないが、竜胆の様な鮮やかな青紫の花や赤い花の中に大き目のユリの花があったことだけははっきりと憶えている。

ありふれた言葉だが、見てはいけないものを見てしまったという感覚でいっぱいだった。
「頭から水を浴びたよう」とはこういうことを言うのだろう。身体が竦(すく)み、全身に鳥肌が立つ。
逃げ出してしまいたいのに、体が凍り付いた様に動かない。
今の私ならスマホで写真でも撮って、その場で腰を据えて状況を考察しているのだろうが、当時の私は今みたいに恐怖に対して鈍感でなかった。否、寧ろ全てに対して過敏と言っても良いほどだった。

一刻も早くここから逃げ出したい、そんな気持ちが心の全てを支配しているはずなのに、理解し難い今の状況を冷静に分析しようとしているもう一人の自分がいる。
何かしら自分に納得のゆく理由を作って、理解出来ない今の状況を受け入れようとしている。

花束はさっき置かれたばかりと思う程に瑞々しくしっかりとしていた。
周辺には花束を投げ入れられるような場所も無ければ、もし投げ込んだとしても周囲は雑木に覆われているため少なからず枝に引っ掛かるだろう。
花びらひとつ散らすことなくここまで投げ入れることなど不可能と思われる。
誰かがここまで来て置いたのでないとしたら、それこそドローンかなにかで吊り降ろしたとしか思えないほど綺麗に置かれていたのだ。(勿論、当時ドローンは一般に普及していなかった)
私より先にここに誰かが来た可能性は否定できない。しかし、道らしい道も無く、特に何かが有るという場所でもない。加えて、私に限って言えばだが、道に迷ってここに辿り着いたような場所である。

一体誰が何のためにここに花を供えたのか。過去、ここで何方かが亡くなったのか、或いは何か忌まわしい出来事でもあったのだろうか。
そう考えると、更に恐怖は加速する。
日中とはいえ昼なお薄暗い山の中に一人。無暗に歩き回って遭難したらそれこそ最後である。(昨今見られるような携帯電話は一般には普及していない時代である)
理解不能な状況という非現実の恐怖と遭難という現実の恐怖に追い掛けられるようにしながらも、余計なものを見ない様に目の前だけをしっかりと見据えて、一心不乱に落ち葉を踏みしめてただ前へ前へと進んだ。

どれくらい歩いただろう。
目の前が開けたと思ったら、車道に出ていた。
安堵感のあまり、全身の力が抜け思わずその場にへたり込む。時計を見ると、道に迷ってから山の中を3時間ほど彷徨っていたようだ。






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