千葉 女医殺害事件


昭和58年(1983)1月7日、千葉市内の新興住宅地で女性の絞殺死体が発見された。
被害者は千葉大医学部病理学教室の研究生、S.Aさん。昨年10月に結婚したばかりだった。

その半年後、逮捕された犯人はなんと夫のF.T(事件後、離婚され旧姓となる)だった。しかも、Tは千葉大学附属病院の整形外科の研修医でもあった。
結婚したばかりで幸せの絶頂にあったはずの新婚夫婦に何があったのか…
明確な犯行の動機は未だもって謎とされている。

この事件は、その謎の多さから、当時、地元では「七天王塚」の祟りだと誠しやかに噂された。
「七天王塚」とは、千葉大学附属病院裏に散在する七つの古塚で、古くから地元の人々に疫病・災害を除く神として崇められ、時に怨霊を封じ込めた塚として恐れられていた。一説には千葉氏の七人の兄弟を葬った墳墓であるとも、平将門を守り身代わりとなって死んでいった七騎の武者の墳墓とも伝えられており、塚やその周囲に茂る大木を伐採すると祟りがあるといわれていた。
そのため、木が道路にまではみ出してきても不用意に切れないため、信号を設置しようとしたが出来なかったという事もあったらしい。また、七天王塚の木を切って事業を起こそうとした人達のほとんどが事業に失敗していったという。
そんないわくのある場所の木を切り建てられた敷地150坪の豪邸、それがS夫妻の新居だったのである。
夫を妻殺しという凶行に走らせたもの、それこそが七天王塚の祟りだったのではなかったのだろうか…



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