藍那隧道
―神鉄粟生線―

藍那隧道
神戸電鉄が藍那駅を出て三木へと向かうと、すぐそこに二つのトンネルが口を開けている。
進行方向向かって左側が旧トンネル、右が新トンネルである。
この旧トンネルは現在の神戸電鉄の三木~鈴蘭台間の前身である三木電気電鉄の敷設工事(1936~1937)により開通したものだが、このトンネルの開通には多くの尊い命の犠牲の元に成り立っているのである。

昭和11年(1936)11月25日午前0時40分、掘削中の藍那隧道東口で崩落事故が起こり、工事に従事していた朝鮮人労働者11名が生き埋めとなり、そのうち6名が亡くなるという惨事となった。
崩落の知らせを受けた他の労働者たちは総出でスコップや手で土砂を掻き分け救出に当るが、時既に遅く6名の方が亡くなり、周囲に病院がないため負傷者はトロッコに乗せ病院まで運んでいったという。
三木電気鉄道(昭和22年(1947)、神戸有馬鉄道と合併し現在の神戸電鉄となる)の手で鈴蘭台駅―広野ゴルフ場前駅間の鉄道敷設工事が行われていた最中のことであった。
当時の事故の様子を伝える『神戸新聞』の紙面には、「惨憺・眼を蔽ふ現場」、「石塊と泥土中から六死體(体)を掘出す」、「重軽傷五人は兵庫病院へ収容」、「二人は生命危篤 兵庫病院で手當(当)中」などの文字が溢れていた。

凄惨な事故と怪談を結びつけるのは不謹慎だが、その無念の思いか否か、いつの頃からかこのトンネルでは幽霊が現れるいう話が囁かれるようになった。
また、常紋トンネルの人柱の話(注1.)よろしくトンネル掘削工事中に亡くなった労働者がトンネルの壁面に埋められているといった話が一部で真しやかに語られているが、前述の神戸新聞の記事でも分かるように、(もしこの落盤事故以外で死傷者が出ていたとしても)懸命の救命処置が行われたことは想像に難くなく、さすがに壁の中に埋め込むといった行為が行われていたとは思えない。

その旧トンネルも平成15年(2003)8月より新トンネルの供用開始(注2.)に伴い現在は使われていない。しかし、いずれ本区間の複線化が進めば再び電車が轟音を上げて通るのであろう。
また、このトンネルか兵庫県道52号小部明石線の藍那トンネルなのかは定かではないが、旧日本軍の兵隊の幽霊が現れるともいう。

平成8年(1996)11月、神戸有馬鉄道と三木電気鉄道の敷設工事で発生した5件の事故で亡くなった13人の朝鮮人労働者の慰霊のためのモニュメントが事故現場のひとつである東山トンネルに近い会下山(神戸市兵庫区会下山町)に建立されている。

参考データ
路線名神戸電鉄 粟生線

注1. 常紋トンネル(北海道北見市)の建設では、タコ部屋労働といわれる非人道的で過酷な労働を強いられ、ケガ、栄養失調などで働けなくなると体罰を受け、治療を受けさることもなく、死ねば工事現場周辺に埋められた。
昭和45年(1970)に行われた改修工事で、常紋駅口から3つ目の待避所の拡張工事の時にレンガ壁から60センチメートルほど奥の砂利の中から、頭部に損傷のある人骨が発見された。人々は口々に人柱だと言っていたという。
注2. 現在使われている新トンネルは、平成元年(1989)10月に既に開通していたが、諸事情により供用が遅れ、14年弱の時を経て平成15年(2003)8月より供用が開始された。



2017/05/15 加筆再編集。






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