姫路市香寺町相坂に相坂隧道という古いトンネルがある。
このトンネルは大正時代(1912~1926)に造られた煉瓦造りのトンネルで、当時の人々の生活を伝える貴重な文化財なのだが、残念ながらこのトンネルは文化財としてより兵庫県屈指の“心霊スポット”として有名なようである。
全長76メートル、高さ2.9メートル、幅2.45メートル。大正8年(1919)、当時の村長の周旋により着工され、同10年(1921)に完成。当時、まだセメントが普及していなかったため、その材料の7割が地元、神崎郡香呂村香呂(現 姫路市香寺町香呂)のJR香呂駅近くにある「西播煉瓦会社」(大正10年(1921)6月 創業)が作った煉瓦が使用されている。工事費は当時の金額で2万円という村の事業としては例を見ないものだった。
これまでに、このトンネルにまつわる奇怪な話は何度となく聞いていた。
車でトンネルを通過中、突然エンジンが止まり目の前に顔の焼け爛れた女性の幽霊が現れたといった話、同様にトンネルの中で車のエンジンが止まり火の玉を見たという話、奇怪な物音や声を聞いたという話、トンネルを出たら(車の)フロントガラスの其処彼処に人間の手形がついていたという話、肝試しに入ったら他に人が居ないのに何処からとも無く囁くような話声が聞こえたという話、トンネルで写真を撮ったら女性らしき顔が写っていたという話など枚挙にいとまが無い。
更には、このトンネルの傍に有る池は、以前死体遺棄事件があったとか、自殺者の名所だったとか、今も発見されていない遺体が沈んでいるといった話まで有る。残念ながらこれらの事実確認は取れなかったので、真偽の程は定かではない。
また、心霊とは多少趣を異にするが、このトンネルのある山はその昔姥捨て山であったという話や、この山には天狗が住んでいるという話(後述の八葉山の寂心上人の逸話が元になったのか)、近くに池があるからだろうか、トンネルの煉瓦の数を総て数えると河童に襲われるという話など、もはや昔話なのか都市伝説なのか分からない様な話まで存在している。
私がここを訪れた時は、道路改良工事に伴う発破作業の為にトンネルは全面通行禁止という旨の看板が道に点々と掲げられていた。しかし、ここまで来たのだから引き返す事など出来るわけも無く、取敢えず行ける所まで行ってみることにした。
山の中を走る道を進んでゆくと、次第に道は狭くなり、その山道を登りつめた所に相坂トンネルはあった。
トンネルの手前に「工事中につき通り抜け不可」と書かれてあったが、特別にバリケードなどもされていないので中へと入ってみることにした。先にも述べたがトンネルの幅は2.45メートルしかなく、普通自動車がやっと通れる程度しかない、私はトンネルの手前の広くなった所に車を停め、歩いて中に入って行くことにした。
岩盤を刳(く)り貫いて造られたトンネルの中は、天井が煉瓦で覆われ、点々と蛍光灯が付けられている。中はひんやりとして、地下水のようなものが滲み出ている。壁の其処彼処にはイタズラと思われる手形などもあった。
古びた狭く暗いトンネルは、確かに独特の雰囲気を醸し出している。しかし、私にはそれ以上は何も感じなかった。むしろ、積み上げられた煉瓦の一つ一つに先人たちの苦労が偲ばれた。
余談だが、すぐ近くの八徳山(八葉寺)には、長徳元年(995)、八葉寺の開山である寂心上人が沐浴用の釜を欲していた所、書写山の性空上人の弟子の乙天が釜を抱き、若天(毘沙門天の化身と伝えられる)が性空上人の文を携えて八葉寺まで飛んでいったという話がある。
今回の探索でトンネルを撮影した写真10枚のうち1枚だけに赤褐色の靄(もや)のような物が全体に写り込んでいた。
この写真は心靈寫眞「相坂トンネル」
に掲載しました。ご興味を持たれましたらご覧頂きたい。
参考データ |
路線名 | 兵庫県道80号 宍粟香寺線 |
延 長 | 70.0m |
幅 員 | 2.45m |
高 さ | 2.9m |
着 工 | 大正8年(1919) |
竣 工 | 大正10年(1921) |
覆 工 | 煉瓦、コンクリート |
ポータル | 煉瓦 |
施 主 | 香呂村 |
工事費 | 約20,000円(当時) |
2024/09/18 一部加筆