青垣峠
(生野峠、黒川峠)

青垣峠の地蔵尊 岡山県倉敷市から京都府福知山市に至る国道429号線。その道中には狭路や九十九折りの急勾配があることから別名「酷道429号線」とも呼ばれている。
そんな難所の一つとして知られるのが、兵庫県朝来市生野町黒川と丹波市青垣町大名草の境界に位置する青垣峠(注:生野峠、黒川峠とも呼ばれる。一般に生野峠というと、国道312号線の朝来市生野町真弓と兵庫県神崎郡神河町の境の峠を生野峠(真弓峠、追上峠とも)と呼ぶ。)である。
杉木立の中を縫うように走る狭い一本道は夜になると街灯も無く真っ暗で、加えて道幅は車一台分ほどしかなく非常に狭い…

この杉木立に囲まれた寂しい峠には幽霊が出るという噂がある。
ある時、数人の若者が肝試しにこの峠へとやってきた。車から降りて辺りを散策するも、月明かりが杉木立を照らすばかりで特に何も起こらなかった。
若者たちは半ば馬鹿にしながら車に乗り込もうとした。とその時、突然血塗れの手が一人の若者の足首を掴んだ。
更に、車の助手席側の窓には血塗れの男が貼り付いていた。
若者たちはそれを振り払い決死の思いで逃げ帰ってきた。
そんな話がこの峠にはある。
近傍には「墓の谷」という字名(あざな)があるという。
(朝来市生野町猪野々に「墓ヶ谷」という字があるが、猪野々と青垣峠は直線で10キロメートル以上離れている。)

もうひとつの生野峠(国道312号線)は戦国時代に度々山賊が出没する往来の難所であった。
古来より多くの人がここで亡くなったと言われる。
峠の頂上を少しばかり神崎町よりに行くとひとつの分れ道がある。その道を「水を下さい」と言いながら下って行くと、四つん這いの老婆が現れるという。
ここには多くの首塚がある。これは文久3年(1863)十月の「生野義挙」(注1.)で処刑された者たちの首級を葬ったものと伝える。

注1. 生野義挙
文久三年(1863)十月、但馬国生野(兵庫県朝来郡生野町、現 朝来市)において尊皇攘夷派が挙兵した事件。生野の変、生野の乱とも言われる。






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