ビール工場跡

ビール工場跡
西宮市の南部市街地の中心に10.1haの広大な更地があった。
かつてここに大手ビールメーカーの西宮工場が建っていた。平成24年(2012)8月22日、操業を停止。跡地は民間会社に一括売却され、平成25年(2013)より大林組により跡地開発が行われた。
北ゾーンと呼ばれるエリアには令和2年(2020)に国内最大級のサービス付き高齢者向け住宅が開設され、現在、その東側2.6ha超の土地に医療機器・医薬品卸売業の倉庫が建設中である。国道2号線に面したロードサイドゾーンと呼ばれるエリアには平成29年(2017)にホームセンター、他に自動車ディーラーが数店舗開設、敷地西側、阪急今津線 阪神国道駅の前に広がる駅前ゾーンと呼ばれるエリア3.8haは西宮市が取得し、西宮市立中央病院、中央体育館、西宮消防署、多目的・防災公園などの整備を計画している。

真偽の程は不明だが、この土地には奇怪な噂がある。
かつてここにあったビール工場は、昭和2年(1927)10月、清涼飲料水の工場として操業。工場建設時、数回の事故が発生、数人の方が亡くなっているといった話がある。更に、工場見学に来ていた小学生が構内を走る運搬車に轢かれ亡くなるという事故もあったという。
会社はこれらの事故を深刻に受け止め、再発防止に努めると共に、慰霊と安全、会社の繁栄を祈念し工場の敷地内に稲荷社を祀り、祭礼を欠かさず執り行っていた。
しかし、工場の閉鎖に伴う開発により稲荷社は撤去された。どこかの神社に合祀されたのか、そのまま廃止されたのかについては定かではない。
過去の航空写真、Google ストリートビュー等で確認すると、工場正門のすぐ北西に石造と思われる鳥居が確認できることから、ここが稲荷社であったと思われる。稲荷社の跡は、現在の国道からホームセンターに入る道の北西辺りと思われる。

工場内に祀られた稲荷社 不思議な噂が立ち始めたのはそれから間もなくのことだった。
深夜2時ごろから明け方にかけて、工場のあった更地の中を数人の人が列をなしてふらふらと歩き回る姿や、光の玉が宙を飛び回っているところが目撃されるようになった。その中には子供の姿もあったという。実際に当時の状況をこの目で見た訳では無いので聞いた話でしかないが、工場跡地はしっかりとしたフェンスが設けられており、容易には侵入できない状況であったという。
不思議なことに、これらの人影や光の玉はかつて稲荷社が祀られていた辺りに現れたという。
不慮の事故で命を落とした御霊たちが、帰る場所を探して稲荷社のあった辺りを今も彷徨っているのだという。

また、この辺りは字大塚の名が示す様に、大きな塚(古墳)が存在した場所であり、古代より魂の眠る土地であった。
令和4年(2022)11月には跡地の県立西宮総合医療センターの建設予定地から、古墳時代の円墳2基と方墳6基の古墳群が見つかっている(津門大塚町遺跡)。円墳1基は古墳時代の前期(3世紀後半~4世紀頃)、他の7基は後期(6世紀頃)に築造されたとみられ、最大の古墳は全長約21メートルの円墳で、地域の首長、津戸首(つとのおびと)が埋葬されたと考えられるという。
これらの古墳群は明治時代初期、鉄道(現 JR神戸線)の敷設工事により古墳の封土は崩され工事に使用され、更にビール工場の建設等により古墳の存在は判然としなくなっていたようだ。






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