武家屋敷
(高田牧場、稲美の館、宗佐の屋敷、厄神の廃墟)

武家屋敷
兵庫県加古川市に有名な廃屋がある。比較的交通量の多い幹線道に面したその廃屋は“お屋敷”という表現が似合う様な大きな建物である。
幹線道に沿うように巡らされた土塀は約450メートル程はあるだろうか。その敷地に至っては手入れがされていない事もあって鬱蒼とした森を形成しているほどである。
ネット上や若者達の間ではその門構えから「武家屋敷」と呼ばれたりしているが、この門を含め建物自体はそこまで古いものではない。
また、周辺の地名にちなんで、「稲美(いなみ)の館」、「宗佐(そうさ)の屋敷」、「厄神(やくじん)の廃墟」等とも呼ばれているという話も聞いたが、何れも地元の人たちはその様な呼び方はしないとのことで、人伝に噂が広まった時にこの様に呼ばれたものと思われる。これらの地名は何れも武家屋敷の近傍ではあるが正確な所在地はこれらのどれにも該当しない。

田舎の旧家でもそうそうお目にかかれそうも無い立派な薬医門。しかし、その門も朽ち果て今は無残な姿を呈している。無作法とは思いつつも、朽ちた扉から中を覗くと、扉から数十メートル先の小高い丘の上に一見古い木造校舎のような建物が見える。
これだけの広大な土地を荒れるに任せているというのは、誰の目から見ても不思議であり、また朽ちた薬医門と崩れ落ちた漆喰の長塀は見る者に因縁めいた話を想起させてしまうには十分すぎるのであろう。
それ故かここには真偽不明の様々な噂がある。
因縁めいた話では、昭和30年代(1955~1964)頃にこの屋敷で一家心中(一説には一家惨殺)があり、一家の遺体はこの屋敷の庭に今も埋められたままなのだという。また、被差別部落の人々がこの屋敷に隔離され、ここで集団生活を送らされていたが、屈辱的な生活を送ることに耐え切れずここで集団自殺をしたという話などもある。
一家惨殺の類の話は廃屋によくある一種の都市伝説であり、事実であれば新聞にも載ったであろうし、周辺の人たちも(語らずとも)知っているはずである。また、被差別部落の人々の集団自殺にしても、確かに被差別部落というものはこの日本の各地に実在した(実在する)が、この界隈でそれらの事実は確認出来ず、また、特定の集落を区分化することはあっても、それらの人々を一箇所に集めて集団生活させたという話は私の知る限り聞いた事が無い。何より、もし被差別部落の人々が住まわされた所であったとしたら、薬医門や漆喰の長塀などを設える理由が理解できない。
次に「資産家一家離散説」と言う話がある。
地元に住む知人らにそれとなく聞いてもらった話や、私が見聞きした話を総合すると、ここは事業に失敗し多額の負債を抱えた資産家の抵当物件だという話が聞こえてきた。
ひとつは、木材加工の会社をしていたが株に手を出し失敗、多額の借金を抱え一家離散に追い込まれたという話。この話を裏付けるように、広い敷地の其処彼処には作業場と思われる小屋のような建物がいくつかある。また、あの広い敷地で牧場を経営していたが、事業に失敗、多額の負債を抱え経営者は行方を晦(くら)ましてしまう。残された土地建物が抵当として管理会社の所有となった。しかし、その管理会社が何らかの理由で倒産したため、土地の所有者が判然としない状態になっているというものだった。
これらの他に、その広大さから「廃校」という話や「飛行場跡」という話もある。飛行場に関しては、古い地図にこの辺りに飛行場と記していた物があるといった話や、近くのスクラップ工場(?)に飛行機の残骸があるのがその名残だといった話もあった。事実、この廃屋との関係は別として、周辺に飛行場があったという証言を複数の人から得たのは非常に興味深い事実である。
この廃屋がどのような経緯を持つものなのかは未だ詳らかでは無いが、肝試しに来た連中は何度となく幽霊を見ているといい、不思議な光を見たとか、不可解な音が聞こえた、呼ぶ声がした、白いおぼろげな女の人が立っていた等という話をよく耳にした。
また、件の門の扉には骸骨のようなシミも見えるというが、生憎確認できなかった。
廃屋の持つ特有の雰囲気がそう感じさせるのか、はたまた忌まわしい過去は事実なのか。
こう言ってしまえば身も蓋も無いのだが、“幽霊”は人の心がそれを感じて初めて生まれるものなのだと私は思う、だから見える人も居れば見えない人も居る。この廃屋も、そしてそれにまつわる数々の話もまたそういったものなのだと思う。

現在、引き続き経緯、事実確認の調査中である。


2002/08/31 加筆再編集


2003/02/01 追記
2003年2月1日。ゆちち様より武家屋敷について次のような情報をお寄せ戴いた。
(掲示板より抜粋)

武家屋敷の近所に住んでいる友達の話では、あのあたりには被差別部落があったそうですよ。
その友達曰くあの工場で働かされていたそういうひと達が集団自殺したのでは?という話です。
本当のトコロはわかりませんが…
でも最近でも自殺があったり、赤ちゃんがすてられたりしているようですし、もしかしたらその方々もいらっしゃるやも知れませぬ。

以前、被差別部落の人々が隔離されここで集団生活をしていたという話を書き、それを否定したが、今回のゆちちさまのご寄稿で新たな説が浮上した。
本文中ではこれまで触れていなかったが、武家屋敷の広大な敷地内には母屋と思われる建物の他に離れや蔵、作業場と思われる建物が点在している。それらの事を鑑みると、木材加工を生業としていたという情報もあることから、全くの勝手な想像だが、ゆちち様が聞いた話が事実であったとしたら、集団自殺云々は別として、そういった(被差別部落の)人たちを安い賃金で雇用し、ここで住み込みで就労させていたという事もあったのかもしれない。

余談であるが「飛行場」の話については、実際この付近に第二次世界大戦当時に飛行場が設けられたということを確認。武家屋敷前の道を南南東に進むと加古郡稲美町下草谷付近で500~600メートルほど道路が直線となっている部分がある、これは飛行場があった当時の名残だという。また、この界隈ではUFOがよく目撃されているという話も聞いた。


2004/01/30 追記
ここが廃屋となった背景に対する考察に拘り過ぎるあまり、此処で起こった怪奇現象について詳しく書いていなかった。補足ながら書いておくことにする。また、この武家屋敷と呼ばれる建物の概要が判明したので追加して記しておく。
よく聞く怪奇現象としては女性にまつわる物が多く、門を入った所で着物姿の女性(の幽霊が)が立っていたという話、また、門の傍らで女性が倒れていたという話、門の正面の薮の中からこちらを見る女性がいたという話、屋敷の中で光が見えるので恐る恐る見に行くと、無数の人影に混じってこちらを見て薄笑いを浮かべる髪の長い女性が居たという話などがある。
広い敷地内を探索していると、子供の幽霊を見たという話や、居るはずの無い誰かに肩をたたかれたとか、服を引っ張られたという話もある。
建物の中では、人影(一人という話から、無数の人影を見たという話まで)を見たという話が圧倒的に多く、また悲鳴を聞いたという話もよく耳にする。もっとも、これら人影や悲鳴は他の肝試しに来ていた先客かもしれないので、幽霊なのか生身の人間だったのかについては何とも言い難い。
敷地の奥にある竹薮を歩いていると、上から竹の葉についた夜露がパラパラと落ちてくる…拭おうとした手を見ると、それは真っ赤な血だったという。
武家屋敷に肝試しに行った帰り、停めていた車に乗り込むとフロントガラスの内側から無数の子供の手形がついていたという話もある。

武家屋敷の真相。
ここはどうやら「高田牧場」という養豚場であったらしい事が判明した。
「採肥目的ノ農家ヘ 仔豚ヲ預ケマス 御希望者ハ当牧場事務所迄」と書かれた大きな紙が屋敷内に残されていた事もうなずける。
昭和30年代(1955~1964)に一家心中或いは一家惨殺があったというが、母屋玄関の柱には昭和60年(1985)のガスの「調査点検済証」があり、台所と思われる部屋にはNTTのモジュラージャックも確認できた。それまでの電話線が直接端子箱から取るローゼット式と呼ばれる物から、モジュラージャック式に変更されたのがたしか昭和60年代(1985~1989)初頭だと記憶している。
これらの事実から考えても、昭和30年代でここが廃屋になったとは考えられない。
ただ不思議なことは、私の曖昧な記憶なのだが昭和60年(1985)頃には既にかなり老朽化しボロボロになっていたと思う…
巷間で言われている様な現在では所有者が判然としないといった噂は勿論、一家心中や一家惨殺、或いは被差別部落云々の事実は一切無く、色々と調べて行くうちに所有者は神戸市東灘区にある酒造メーカーであるらしいという事も判明した。
平成16年(2004)の年明けに訪れた時には「関係者以外立入禁止 (持主)」という大きな看板が正面の門の柱に打ち付けられていた。


2010/07/12 追記
2008年9月1日。いっちー様より武家屋敷について次のような情報をお寄せ戴いた。
(メールより抜粋)

私の懇意にしている方で、この付近の住人(戦時中からの)から武家屋敷についての詳しい話を聞くことが出来ましたので、参考までにお伝えします。
大筋はこちらで書かれているとおりですが、真相はこうです。
高田牧場というのは正しく、かつては養豚主体に牛や羊、山羊などの家畜を飼育していました。
近隣の小学校の写生大会の会場にも活用され、かなり地元では有名かつ有益な牧場だったようです。
この牧場はその後牧場としての役目を終えてしまいます。
理由については地元も良くは知らないようですが、噂のような一家惨殺とか経営者の自殺とかは全く事実無根であり、そのような血生臭い話は一切なかったとのことです。
牧場をたたんでからこの施設はボーイスカウトの屋外実習場として使われた後、記述にあるように神戸の酒造会社に売却され、色々な利用計画が企画されたものの、バブル崩壊により計画そのものが頓挫してしまい、土地は手付かずのまま放置されて荒廃が進みました。
また、それに伴い侵入者による破壊行為も頻繁に発生したため、周辺自治会から県を通して所有者に抗議があり、門は閉ざされて施錠されるようになりました。(鍵を壊して侵入する者は後を絶たないようですが)
また、破壊行為と火災を予防するために、定期的に警察と自治会による巡回が行われています。(さきほどの私の知り合いも参加しています)
しかし、噂は噂でしかないにせよ不気味な所であることには変わりが無く、夜警の警官ですら忌避しているのは事実です。
昼間でも暗く、夜は闇が深いので、一人で入るのは強烈には違いない廃墟ではあります。




武家屋敷の画像はこちら(外部リンク)
【 Ruins 】 ⇒高○牧場





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