兵庫県加古川市の幹線道路沿いに、ひときわ異彩を放つ巨大な廃屋がある。
鬱蒼とした森に飲み込まれつつあるその敷地は、約450メートルはあると思われる土塀に囲まれ、「お屋敷」と呼ぶにふさわしい威圧感を与えている。 ネットや若者の間では、その立派な門構えから「武家屋敷」と呼ばれているが、門や建物自体はそれほど古い時代のものではない。 周辺の地名から「稲美の館」「宗佐の屋敷」「厄神の廃墟」などとも呼ばれているとも聞いたが、正確な所在地もこれらの地名とは微妙に合わず、地元の人々もそうした呼び方はしないとのことだった。
住む者が居なくなり、荒れ放題となった大きなお屋敷。そこでは過去に凄惨な事件があったという。 一家心中、一家惨殺といった話は廃屋にはよくある噂(都市伝説)で、もし一家惨殺が本当にあったのなら新聞にも載ったであろうし、周辺の人たちも(語らずとも)知っているはずである。また、被差別部落の人々の集団自殺にしても、確かに被差別部落というものはこの日本各地に実在した(実在する)が、この界隈でそれらの事実は確認出来ず、また、特定の集落を区分化することはあっても、それらの人々を一箇所に集めて集団生活させたという話は私の知る限り聞いた事が無い。何より、もし被差別部落の人々を隔離・収容する施設等であったとしたら、これほど立派な門や漆喰の長塀などを設えるとは思えない。 ただ、敷地内には作業場や蔵が点在し、かつて木材加工を生業としていたという話(未確認)もあり、ここからは私の全く勝手な想像だが、ゆちち様が聞かれた話が事実であるとすれば、集団自殺云々は別として、そういった(被差別部落の)人たちを安い賃金で雇用し、ここで住み込みで就労させていたという事もあったのかもしれない。 他に「資産家一家離散説」と言う話を聞いた。 地元に住む知人数人にそれとなく調べてもらった話、私が現地に赴いて聞いた話を総合すると、ここは事業に失敗し多額の負債を抱えた資産家の抵当物件だという話が聞こえてきた。 ひとつは、木材加工の会社をしていたが株に手を出し失敗。多額の借金を抱え一家離散に追い込まれたという話。たしかに広い敷地の其処彼処には作業場と思われる小屋のような建物がいくつかある。また、この広い敷地で牧場を経営していたが、事業に失敗、多額の負債を抱え経営者は行方を晦(くら)ましてしまう。残された土地建物が抵当として管理会社の所有となった。その後、管理会社が何らかの理由で倒産、土地の所有者が判然としない状態になっているという。 これらの噂の他に、その大きさから「廃校」という話や「飛行場跡」という話もある。 飛行場に関しては、周辺に第二次世界大戦当時、飛行場があったという歴史的事実があり、古い地図にはこの辺りに「飛行場」と記されている。稲美町下草谷付近には、今も「飛行場線」と呼ばれる500~600メートルほどの直線道路がその名残を留めている。近くの中古機械販売をされている会社には戦闘機の機首があり、こちらも飛行場があった名残だといったような話を聞いた。(注.1)
武家屋敷には真偽不明の奇怪な噂がいくつもあり、心霊スポットとしての知名度は高い。ここに肝試しに訪れた多くの者が不思議な体験をしている。
武家屋敷を挟むようにして、北に「野々大神社」、南に「井ノ大神社」という神社が鎮座しており、これらの神社は武家屋敷の呪いを封じるために建立されたという話まであるが、付会の域を出ない。
不気味な噂の絶えない「武家屋敷」だが、かつては「高田牧場」という養豚場であったという事が判明した。 かつては豚、牛、羊、山羊などを飼育する畜産農家であり、近隣小学校の写生大会の会場にもなるほど地元では親しまれた有益な施設であった。屋敷内に残されていた「採肥目的ノ農家ヘ 仔豚ヲ預ケマス 御希望者ハ当牧場事務所迄」と書かれた大きな紙がかつてここが牧場であったことを物語っている。 牧場が役目を終えた後は、ボーイスカウトの屋外実習場として活用されていた時期もあった。その後、神戸市灘区の酒造メーカーが土地を購入。様々な利用計画が立てられたが、バブル崩壊により計画は頓挫。その後、どのような経緯があったかは定かではないが、土地、建物は放置されたままとなり、長い年月風雨に晒され、さらに侵入者による破壊、台風などによる破損で現在のような姿となったというのが真相のようだ。 母屋玄関の柱には昭和60年(1985)のガスの「調査点検済証」があり、台所と思われる部屋にはNTTのモジュラージャックも確認できた。それまでの電話線が直接端子箱から取るローゼット式と呼ばれる物から、現在一般的に用いられているモジュラージャック式に変更されたのが、たしか昭和60年代(1985~1989)初頭だと記憶している。 これらの事実から考えても、噂にあるような一家心中や一家惨殺が起こって、昭和30年代に廃屋になったという説は時系列的に成立しない。 ただ不思議なことに、私の曖昧な記憶なのだが昭和60年(1985)頃には既にかなり老朽化しボロボロになっていたと思う…… この界隈ではUFOがよく目撃されているという話もあり、この一帯には人の心をざわつかせる「何か」が漂っているのかもしれない。
平成16年(2004)の年明けに訪れた時には「関係者以外立入禁止 (持主)」という大きな看板が正面の門の柱に打ち付けられていた。
2026/04/25 加筆再編集。
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