武家屋敷
(高田牧場、稲美の館、宗佐の屋敷、厄神の廃墟)

武家屋敷
兵庫県加古川市の幹線道路沿いに、ひときわ異彩を放つ巨大な廃屋がある。
鬱蒼とした森に飲み込まれつつあるその敷地は、約450メートルはあると思われる土塀に囲まれ、「お屋敷」と呼ぶにふさわしい威圧感を与えている。
ネットや若者の間では、その立派な門構えから「武家屋敷」と呼ばれているが、門や建物自体はそれほど古い時代のものではない。
周辺の地名から「稲美の館」「宗佐の屋敷」「厄神の廃墟」などとも呼ばれているとも聞いたが、正確な所在地もこれらの地名とは微妙に合わず、地元の人々もそうした呼び方はしないとのことだった。

住む者が居なくなり、荒れ放題となった大きなお屋敷。そこでは過去に凄惨な事件があったという。
昭和30年代頃(1955~1964)、この屋敷の住人が一家心中。主を失った屋敷はそのまま朽ちて行ったという。また、別の話では屋敷で酷使されていた使用人が、主人一家を惨殺。遺体を屋敷の敷地に埋めたという(井戸に遺棄したともいう)。
また、かつて被差別部落の人々がここに隔離・収容されており、屈辱的な生活に耐えかねて集団自殺を図ったという血腥い噂もある。
2003年2月1日、弊サイト掲示板にゆちち様より次のような情報が寄せられた。

武家屋敷の近所に住んでいる友達の話では、あのあたりには被差別部落があったそうですよ。
その友達曰くあの工場で働かされていたそういうひと達が集団自殺したのでは?という話です。
本当のトコロはわかりませんが…
でも最近でも自殺があったり、赤ちゃんがすてられたりしているようですし、もしかしたらその方々もいらっしゃるやも知れませぬ。

弊サイト掲示板より抜粋

一家心中、一家惨殺といった話は廃屋にはよくある噂(都市伝説)で、もし一家惨殺が本当にあったのなら新聞にも載ったであろうし、周辺の人たちも(語らずとも)知っているはずである。また、被差別部落の人々の集団自殺にしても、確かに被差別部落というものはこの日本各地に実在した(実在する)が、この界隈でそれらの事実は確認出来ず、また、特定の集落を区分化することはあっても、それらの人々を一箇所に集めて集団生活させたという話は私の知る限り聞いた事が無い。何より、もし被差別部落の人々を隔離・収容する施設等であったとしたら、これほど立派な門や漆喰の長塀などを設えるとは思えない。
ただ、敷地内には作業場や蔵が点在し、かつて木材加工を生業としていたという話(未確認)もあり、ここからは私の全く勝手な想像だが、ゆちち様が聞かれた話が事実であるとすれば、集団自殺云々は別として、そういった(被差別部落の)人たちを安い賃金で雇用し、ここで住み込みで就労させていたという事もあったのかもしれない。
他に「資産家一家離散説」と言う話を聞いた。
地元に住む知人数人にそれとなく調べてもらった話、私が現地に赴いて聞いた話を総合すると、ここは事業に失敗し多額の負債を抱えた資産家の抵当物件だという話が聞こえてきた。
ひとつは、木材加工の会社をしていたが株に手を出し失敗。多額の借金を抱え一家離散に追い込まれたという話。たしかに広い敷地の其処彼処には作業場と思われる小屋のような建物がいくつかある。また、この広い敷地で牧場を経営していたが、事業に失敗、多額の負債を抱え経営者は行方を晦(くら)ましてしまう。残された土地建物が抵当として管理会社の所有となった。その後、管理会社が何らかの理由で倒産、土地の所有者が判然としない状態になっているという。
これらの噂の他に、その大きさから「廃校」という話や「飛行場跡」という話もある。
飛行場に関しては、周辺に第二次世界大戦当時、飛行場があったという歴史的事実があり、古い地図にはこの辺りに「飛行場」と記されている。稲美町下草谷付近には、今も「飛行場線」と呼ばれる500~600メートルほどの直線道路がその名残を留めている。近くの中古機械販売をされている会社には戦闘機の機首があり、こちらも飛行場があった名残だといったような話を聞いた。(注.1)

武家屋敷には真偽不明の奇怪な噂がいくつもあり、心霊スポットとしての知名度は高い。ここに肝試しに訪れた多くの者が不思議な体験をしている。
特に女性の霊にまつわる話が多く、門を入った所に立つ着物姿の女性、門の傍らで倒れたまま動かない女性、藪の中からこちらを凝視する女性、また、屋敷の中で光が見えるので恐る恐る見に行くと、無数の人影に混じってこちらを見て薄笑いを浮かべる髪の長い女性が居たという話などがある。
それ以外にも、子供の幽霊、何者かに服を引っ張られた、何者かに肩を叩かれた、建物内で無数の人影や悲鳴を耳にしたという体験談は枚挙に暇がない。人影や悲鳴は他の肝試しに来ていた先客かもしれないので、心霊現象とは断定出来ないかも知れない。
さらに、敷地の奥にある竹薮を歩いていると、上から竹の葉についた夜露がパラパラと落ちてきた…… 拭おうとした手を見ると、それは真っ赤な血だったという話や、帰路につこうと停めていた車に乗るとフロントガラスの内側に無数の子供の手形がついていた、後部座席に見知らぬ男が乗っていたといったエピソードも、この場所の不気味さを際立たせている。
敷地内のどこかに「二つの井戸」があり、それを見つけてしまうと呪われるという噂もあるようだ。
敷地内には浄化槽?地下式受水槽?のマンホールがぽっかりと口を空けており、これを井戸と読んでいると思われるが、二つ目の井戸の存在は確認できていない。

武家屋敷を挟むようにして、北に「野々大神社」、南に「井ノ大神社」という神社が鎮座しており、これらの神社は武家屋敷の呪いを封じるために建立されたという話まであるが、付会の域を出ない。
井ノ大神社は水分神(水の分配を司る神)を祭神とし、「井ノ大神社」という名前から地域の水の神として祀られたものと思われる。
野々大神社は伊邪那岐命を祭神とし、この地方を開墾した四家族(馬田氏、八代醍氏。厚見氏、友永氏)が村と一族の守護として建立したものである。

不気味な噂の絶えない「武家屋敷」だが、かつては「高田牧場」という養豚場であったという事が判明した。
2008年9月1日。いっちー様より武家屋敷について次のような情報が寄せられた。

私の懇意にしている方で、この付近の住人(戦時中からの)から武家屋敷についての詳しい話を聞くことが出来ましたので、参考までにお伝えします。
大筋はこちらで書かれているとおりですが、真相はこうです。
高田牧場というのは正しく、かつては養豚主体に牛や羊、山羊などの家畜を飼育していました。
近隣の小学校の写生大会の会場にも活用され、かなり地元では有名かつ有益な牧場だったようです。
この牧場はその後牧場としての役目を終えてしまいます。
理由については地元も良くは知らないようですが、噂のような一家惨殺とか経営者の自殺とかは全く事実無根であり、そのような血生臭い話は一切なかったとのことです。
牧場をたたんでからこの施設はボーイスカウトの屋外実習場として使われた後、記述にあるように神戸の酒造会社に売却され、色々な利用計画が企画されたものの、バブル崩壊により計画そのものが頓挫してしまい、土地は手付かずのまま放置されて荒廃が進みました。
また、それに伴い侵入者による破壊行為も頻繁に発生したため、周辺自治会から県を通して所有者に抗議があり、門は閉ざされて施錠されるようになりました。(鍵を壊して侵入する者は後を絶たないようですが)
また、破壊行為と火災を予防するために、定期的に警察と自治会による巡回が行われています。(さきほどの私の知り合いも参加しています)
しかし、噂は噂でしかないにせよ不気味な所であることには変わりが無く、夜警の警官ですら忌避しているのは事実です。
昼間でも暗く、夜は闇が深いので、一人で入るのは強烈には違いない廃墟ではあります。

メールより抜粋

かつては豚、牛、羊、山羊などを飼育する畜産農家であり、近隣小学校の写生大会の会場にもなるほど地元では親しまれた有益な施設であった。屋敷内に残されていた「採肥目的ノ農家ヘ 仔豚ヲ預ケマス 御希望者ハ当牧場事務所迄」と書かれた大きな紙がかつてここが牧場であったことを物語っている。
牧場が役目を終えた後は、ボーイスカウトの屋外実習場として活用されていた時期もあった。その後、神戸市灘区の酒造メーカーが土地を購入。様々な利用計画が立てられたが、バブル崩壊により計画は頓挫。その後、どのような経緯があったかは定かではないが、土地、建物は放置されたままとなり、長い年月風雨に晒され、さらに侵入者による破壊、台風などによる破損で現在のような姿となったというのが真相のようだ。
母屋玄関の柱には昭和60年(1985)のガスの「調査点検済証」があり、台所と思われる部屋にはNTTのモジュラージャックも確認できた。それまでの電話線が直接端子箱から取るローゼット式と呼ばれる物から、現在一般的に用いられているモジュラージャック式に変更されたのが、たしか昭和60年代(1985~1989)初頭だと記憶している。
これらの事実から考えても、噂にあるような一家心中や一家惨殺が起こって、昭和30年代に廃屋になったという説は時系列的に成立しない。
ただ不思議なことに、私の曖昧な記憶なのだが昭和60年(1985)頃には既にかなり老朽化しボロボロになっていたと思う……

この界隈ではUFOがよく目撃されているという話もあり、この一帯には人の心をざわつかせる「何か」が漂っているのかもしれない。

平成16年(2004)の年明けに訪れた時には「関係者以外立入禁止 (持主)」という大きな看板が正面の門の柱に打ち付けられていた。
現在は、破壊や火災を防ぐため、警察や自治会による定期的な巡回が行われている。

2026/04/25 加筆再編集。

注.1 
ノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機F-86Fの機首。飛行場とは無関係。
2022年7月29日の神戸新聞NEXTの記事によると、先代創業者が1984年以降に米国の払下げで入札し、購入したものという。



本ページはフレーム構成となっております。
左端にメニューが表示されていない場合はこちらからどうぞ。