布施畑トンネル

布施畑トンネル
藤原宇合(ふじわらのうまかい)の開基と伝える古刹、太山寺(神戸市西区伊川谷町前開)をさらに奥へと進んだ山間に布施畑トンネルはある。(「布施畑トンネル」という名称のトンネルは神戸淡路鳴門自動車道にも存在するが、ここでいう布施畑トンネルは兵庫県道65号神戸加古川姫路線のトンネルである。)
平成2年(1990)3月の竣工、延長は東行きが227メートル、西行きが321メートル、幅員(東行き、西行き共に)7.5メートル、高さ(東行き、西行き共に)4.7メートル、比較的新しく綺麗なトンネルなのだが、このトンネルにも幽霊が出るという話がある。
聞くところによると、ここに現れるものは女性の幽霊だとも黒い影だとも言われるが、それ以上の詳しい事は解らない。
先にも述べたがトンネルは比較的新しく、トンネルにも周囲の土地にも因縁めいた話は(私が知る限り)これといって無く、実際に通ってみても(日中ということもあったのか)トンネル特有の暗さや閉塞感といったものは有るが、それ以外は特に変わった感じは受けなかった。

余談になるが、布施畑(村)はもともとは「野村」、鎌倉期から戦国期頃には「畑村」と呼ばれていた。
天授年間(1375~1380)に足利三代将軍足利義満の内室が眼病を患っていた、そこで太山寺の本尊である薬師仏に参詣し水を戴き、病気平癒を願ったところたちまちに内室の眼病は回復したという。
内室はこれを喜び、野村の地を太山寺に布施として納めた。それ以来、この地を布施物村、布施の畑村から布施畑村と呼ぶようになったという。(『播州明石記録』)
これとは別に、太山寺文書のひとつ「地頭代官吉綱田地寄進状」には、元応元年(1319)、地頭代官吉綱が出平居荒野一所を太山寺へ寄進したと記されていることから、これにより布施畑村の名が起こったという説もある。

参考データ
路線名県道65号神戸加古川姫路線
延 長東行 227m / 西行 321m
幅 員7.5m
高 さ4.7m
竣 工平成2年(1990)3月
施 主神戸市
施 工株式会社 熊谷組

2020/05/22 加筆再編集。






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