Bの養護学校
(「某 学 園」 改題)

Bの養護学校 ぽちょむきん様より、兵庫県“K市のB”という場所(伏字ではなく、ぽちょむきん様にも詳しい事は分からない)に、現在使われていない洋館風の造りの養護学校があり、かつてここで大量殺人事件があった。以来閉鎖されたままになっているという話を聞いた。
その養護学校は海のすぐ傍、神社や工場のある場所にあり、建物の周囲は侵入者を拒むかの様に高い頑丈な塀に囲まれ、入口には「この学園の取材・撮影はお断りします」と書かれてあるのだという。また、興味本位で侵入した二人の若者が居たが、彼らは間も無く原因不明の病気になったという話だった。

兵庫県内でK市と言えば、神戸市、加古川市、加西市、川西市の4市が考えられる。(注1.) このうち、海に面した場所があるのは神戸市と加古川市である。その2市のうちで海に面した場所にあるBという地名となれば自ずと絞り込まれ、二ヶ所しかない。
そこで思い出されるのがある洋館の存在である。
海に面した所に立つ洋館で、すぐ傍には神社があり、また工場等も建っている。周囲の状況は聞いた話と一致する。
そこで、私は噂の真相を確かめるべくその洋館へと向った。

港に注ぐB川右岸河口近くに建つ洋館は、T社の創始者が賓客を迎えるために建築した別荘兼住宅で、大正7年(1918)に着工し、昭和8年(1933)に完成。1階腰部を煉瓦積、もしくは花崗岩積とした「たち」の高い木造4階建で、凹凸ある平面形状と勾配を変えた切妻屋根が特徴的な洋館である。外装は全面銅板張になっている。
平成14年(2002)5月17日、主館、石造門、煉瓦塀、記念碑の4件が国の登録文化財に答申されている。
現在はT社の記念館となっており、会議などに使われているが内部は非公開となっている。
現地を訪れたのは日が少し西に傾きかけた頃だった。
銅板張りの外装は緑青だろうか鈍い焦げ茶色をしている、それが殊更見るものに威厳或いは威圧感を感じさせている。周囲を歩いてみるとなるほど比較的新しい感じのアルミ製の外壁が周囲を取り囲んでいる。そして、正面入口と思われる所には 「当館の公開・撮影はお断りいたします。 学校法人 T学園」 と書かれたプレートが付けられている。なるほど、言葉は多少違うが此処に間違いないだろう。
推測が確信に変わった瞬間である。

ここで話を少し整理しよう。現在この建物を管理しているのはT社を母体とする学校法人T学園のようだ。名勝或いは史跡として度々紹介される機会は多いが、非公開と言う説明が十分にされていないまま紹介されている事も多い事から、正面入口に「当館の公開・撮影はお断りいたします。」のプレートが付けられたのだろう。
つまり、「〜学園」という名前が学校(この場合養護学校)を想起させ、加えて「公開・撮影はお断り」と書かれればここで何か有ったのかと勘繰ってしまう者も出てくるのだろう。そうなってくると、文化財保護の為に設けられた塀さえ違った意味に思えてしまう。
そこに人から人に伝わるうち、話に尾鰭がついてこのような話になったのではないだろうか。
この町の出身という人に話を伺う機会があったので聞いてみたところ、昭和30年(1955)頃、子供だったその人はよくこの洋館に入って遊んでいたといい、また近くにあるT家(T社創始者一家)の墓地では、墓石に石造りの亀がついているらしく(台座?装飾?)よくこれに登って遊んでいたとも話してくれた。
今更言うまでもないが、件の養護学校や大量殺人云々などの事実は勿論無い。
しかし、これらの事実は無くとも地元では“お化け屋敷”で通っているというのも事実である。
これは、知名度こそ違え、彼の有名な「芦屋ユネスコ会館」を思い起こさせ、何とも複雑な気分で此処を後にした。

参考までに簡単に書いておくと、「芦屋ユネスコ会館」の話とは、国際交流と親善を目的とするユネスコ活動の基盤となるべく造られた芦屋ユネスコ会館が、バブル崩壊後放置され廃墟となり、誰言うと無くここはある宗教団体の経営する病院(或いは精神病院)で、隔離生活を苦にした患者13人が地下のボイラー室で集団焼身自殺をしたという話が口コミ或いは様々な無責任なメディアを介して広まったという話である。勿論事実無根の話である。

注1.
加東市が出来たのは2006年3月20日で、これを書いた当時はまだ加東市は無かった。






本ページはフレーム構成となっております。
左端にメニューが表示されていない場合はこちらからどうぞ。