兵庫県北部豊岡市の景勝地のひとつとして知られる「玄武洞」は、昭和6年(1931)2月20日、玄武洞と青龍洞が国の天然記念物の指定を受け、昭和38年(1963)、周辺地域一帯が山陰海岸国立公園に指定された。
約160万年前の火山活動で山頂から噴出したマグマが冷却され、玄武岩溶岩の厚い層を形成。その後、河川による侵食により玄武岩塊が露出。マグマが冷却される際に体積が小さくなることで出来た柱状の割れ目(柱状節理)が特徴的で、亀甲状の石柱が集合した様が伝説上の動物「玄武」(四神のひとつ)の姿に見えることから江戸時代後期の文化4年(1807)ここを訪れた幕府の儒学者、柴野栗山がここを「玄武洞」と命名した。 柱状に割れたその形状は切り出しやすかったこともあり、人々がこれを採掘し石材として様々な用途に用いられた。その採掘跡が洞窟として残ったもので、ここは天然の洞窟ではなく、玄武岩を採掘した坑道及び採掘跡地である。 玄武洞の周囲には四神になぞらえて青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞と命名された洞窟があり、一帯は玄武洞公園として整備されている。
四神の名を冠することからパワースポットとも言われるが、その反面、心霊スポット或いは自殺の名所という話もある。そもそも玄武洞が心霊スポットだという話は聞いた事が無いという声もそれなりにあるようで、自殺の名所という話は寡聞にして初耳だった。 注.1 天正3年(1575)の野田合戦。天正8年(1580)の羽柴秀吉の但馬平定など。 |