ゴッホの館

ゴッホの館 S市の郊外、小高い丘の上に「ゴッホの館」とよばれる廃墟が在る。
平成10年(1998)頃にはすでに廃墟と化していたようだが、知名度が低かったせいか私がそこを訪れた時は(アトリエを含め)比較的綺麗なまま残されていた。
正しくは、このゴッホの館のある丘を「アート・ガーデン」とよび、故 大石輝一氏のアトリエだったようである。

大石輝一氏は明治25年(1894)に大阪市に生まれ、東京の本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事して洋画を学んだ。
しかし、大正12年(1923)の関東大震災に遭遇し大阪に引き上げる。
その後、西宮市の苦楽園にアトリエを新築し、阪神間モダニズム文化の一端を担う活動をした。
昭和35年(1960)、兵庫県S市の丘陵地を購入し「アート・ガーデン」の建設に着手。
その2年後には「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの記念碑」の除幕式が執り行なわれた。オランダのアムステルダムのゴッホ美術館には、大石氏がゴッホに宛てて書いたこの記念碑に関する手紙が保管されているという。
昭和41年(1966)には武者小路実篤より贈られた「ゴッホを想う詩碑」を建立。
大石氏はここに野外美術館や複製画などの美術館を作る予定だったが、完成を見ぬままに昭和47年(1972)に満77歳で病没した。

大石氏の死後、どのように管理されていたのかは定かでは無いが、アート・ガーデン自体はその後も一般公開されていたようである。
アトリエ(建物)は当時のままの状態で保存管理されていたようだが、何時の頃からか心無い者が玄関を破壊して内部に侵入。その後、度々不法侵入があったことは想像に難くない。
そもそも心霊スポットとは無縁のこの場所が何故心霊スポットと言われるようになったのか。
敷地内に残るブスケ神父(Marie Julien Sylvain Bousquet)のレリーフなどは確かに夜に見ると失礼ながら不気味に見える。加えて、不法侵入したであろう時に見たと思われる「アトリエ内には肖像画をはじめとして「変な外国の人形やら怖い絵」(原文ママ)が置かれていた」といった話や、「離れにある茶室にお札が貼られていた」といった話から、いつしかここが「心霊スポット」と呼ばれるようになったようである。

そもそも地元の人しか知らないような場所であり、何より心霊スポットとは無縁の“アート・ガーデン”だったが、平成15年(2003)頃よりネット上でちらほらと「ゴッホの館」があたかも心霊スポットであるかのような書き込みが見受けられるようになり、やがて心霊スポットとしてのゴッホの館が独り歩きを始め、深夜に肝試しの若者等がやって来てはアトリエ内部を荒らしたり、ゴミを捨てたりするようになってしまった。
平成16年(2004)1月初頭、不法侵入対策はもとより建物の老朽化にともなう危険が憂慮され、管理者によりアトリエの入口や窓に厚いコンパネ等で目張りが施された。

現在、アート・ガーデンは三田ユニバーサルヴィレッジとして社会福祉法人ひょうご障害福祉事業協会によって管理されている。


2018/03/14 加筆再編集

ゴッホの館の画像はこちら(外部リンク)
【 Ruins 】 ⇒ゴッホの館





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