有野トンネル
(五社トンネル)

有野トンネル(五社トンネル)
神戸電鉄五社駅のホームに立って三田方面(北方)に目を遣ると、山肌に有野トンネル(通称:五社トンネル)がぽっかりと口を開けている。

1970年代初頭、このトンネルで骨壷を抱えた白装束の老婆の幽霊が歩いている姿が目撃され話題になった。
当時、幽霊の噂は人々の間で知られていたようで、風評被害を懸念した関係者がお祓いを行ったと言われている。果してお祓いの効果があったのか、その後徐々に幽霊を見たという話も無くなり、いつしか自然消滅的に消えて行ったという。
詳しい話を知りたく、色々と尋ねたり調べたりしたが、当時の話を知っている人や(非公式であれ)記録の類には辿り着けなかった。
この老婆の幽霊は誰の骨壷を抱えていたのだろうか。

老婆の幽霊と関係があるのか無いのかは分からないが、参考までに書くと有野トンネルは五社八幡神社(主祭神 天照皇大神、配祀神 天兒屋根命、中筒男命、菅原道真、応神天皇、武内宿禰)境内参道の下を貫くように走っている。
また、天正年間(1573~1593)、三木城主別所氏の家臣、小野三郎義晴が三木城の東の守りとして五社八幡神社背後の山に切畑城(五社城)(注.1)を築き、当社境内に居館(五社城居館、五社館)を設けていた。
天正6年(1578)羽柴秀吉の中国征伐の時、中川清秀、荒木村重等の率いる大軍に攻められ落城。居館、社殿は悉く兵火により灰燼に帰し、小野一族は討死している。

昭和55年(1980)、五社八幡神社に文化庁の調査が行なわれ、社殿が室町時代の作とみられることから国の重要文化財への指定の審議がなされていたが、昭和59年(1984)5月、重要文化財への指定が審議中のまま放火で社殿と稲荷神社が全焼。
翌昭和60年(1985)12月、氏子らによって再建された。新社殿は今後の火災を恐れ、鉄筋コンクリート造りとし、大きさは約30平方メートル、屋根は桧の枠組みに銅板葺きとした。
焼失する以前の社殿は、横長の鞘堂内に一間社流造の社殿が五社並んでいた。この「五社並祀」が五社という地名の起源と言われている。

注.1 切畑城という名称及び城郭については諸説あり、切畑城、岡場城、西尾城、五社城、有野城ともに同じ城郭の異称とも、いくつかは別の城郭だという話もある。

参考データ
路線名神戸電鉄 三田線






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