須磨海岸の背後に連なる山々は六甲山系の西南端で、西から鉢伏山(246m)、旗振山(253m)、鉄拐山(234m)、高倉山(291.5m)(注.1)、栂尾山(274m)・横尾山(312m・最高峰)・東山(253m)と続き、縦走コースは「須磨アルプス」と呼ばれ親しまれている。
鉢伏山は須磨海岸の背後、隣接する鉄拐山とともに須磨浦公園内を構成し、山頂付近には須磨浦山上遊園がある。山頂まではロープウェイとカーレーターが整備され、回転展望閣からは天気が良ければ東は大阪の関西国際空港、西は明石海峡大橋が一望できる。
「鉢伏山」の名前は、神功皇后が三韓征伐の帰路、この山の頂に兜鉢(注.2)を埋めたことに由来すると言われている。同様の伝説が西宮市の甲山にも伝わっている。一説には、海側から見た山容が鉢を伏せたように見えることから「鉢伏山」と呼ばれるようになったともいわれる。
鉢伏山の南麓、鉄拐山と高倉山との間から流れ出た渓流に沿う一帯を一ノ谷と呼び、治承・寿永の乱(源平合戦)において福原(神戸市兵庫区)に陣営を置いた平氏が西門(北門は夢野、東門は生田の森)として守備に当たっていた場所で、東の一の谷本流に対して、西の谷を「赤旗谷」と呼び、平家の旗印「赤旗」で谷が満ちていたことからこう呼ばれるようになったと伝える。周辺は源平合戦の激戦地のひとつであった。海に近い所には「源平合戦 戦の濱碑」や平敦盛の供養塔とされる巨大な五輪塔「敦盛塚」がある。
周辺には源平の合戦にまつわると思われる話から近年の事件、事故で亡くなった方々の話まで、様々な怪談がある。
激戦地であった一ノ谷から須磨の海岸周辺では、この戦いで命を落としたと思われる鎧武者や落武者、果ては刎ねられた首を持った武者の幽霊が現れるという。鉢伏山の山頂や周辺では写真を撮ると心霊写真や奇妙な写真(具体的にどの様なものかは不明)が写る事があるといわれ、武士や落武者(の幽霊)が写ったという話もある。
・ 一ノ谷
国道2号線から一ノ谷町1丁目方面に続く北に向かう道の周辺では、深夜馬の嘶(いなな)きや敵味方入り乱れた戦う大勢の武士の声のようなものが聞こえる事があるという。
⇒ 異聞抄(兵庫) / あ~お / 「一ノ谷」
・死の谷
源平合戦の激戦地で多くの血が流された一ノ谷は元々は「死の谷」と呼ばれていたが、いつしか「死の谷」が「一ノ谷」になたっという話がある。
一ノ谷の名前はその地形から来ており、海のすぐそばまで迫る鉢伏山、鉄拐山の麓に連続してある三つの谷に由来している。その様子は江戸時代の「兵庫名所図巻」に見ることが出来る。東から、「一の谷」(現在の須磨区一ノ谷町1丁目1界隈、一の谷川流域。すぐ西が赤旗谷)、「二の谷」(現在の須磨区一ノ谷町3丁目1界隈、二の谷川流域)、「三の谷」(現在の須磨区一ノ谷町3丁目3界隈、須磨浦病院のある辺り)の文字と共に山と山の間に水の無い瀧のような姿で三つの谷が描かれている。
古戦場という立地から発生した後世の付会、或いは都市伝説やオカルト系の噂の域を出ない話と思われる。
・ 戦いの濱
一ノ谷からその前に広がる海岸一帯は、治承・寿永の乱の激戦地となったことから「戦いの濱」と呼ばれている。
源義経が一ノ谷に拠る平氏を奇襲(逆落とし)した日が寿永3年(治承8年/1184)2月7日であったことから、毎年旧暦の2月7日(3月20日)の早朝、この辺りでは軍馬の嘶(いなな)きが聞こえるという言い伝えがある。
・須磨浦公園周辺の住宅街
源義経が一ノ谷に拠る平氏を奇襲(逆落とし)した日が寿永3年(治承8年/1184)2月7日であったことから、毎年旧暦の2月7日(3月20日)の早朝、須磨浦公園周辺の住宅街では山の方から多くの軍勢が争う声が聞こえるという。
・小学校
ある小学校では鎧武者の幽霊が出るという。
・ ファミリーレストラン
鉢伏山の麓、須磨の海を臨む場所にあったファミリーレストランの従業員控室や厨房には落武者の幽霊が出るという話があった。深夜、誰もいない控室から人の気配がしたり、声が聞こえる。厨房の食器が勝手に動いたり落ちたり、いつの間にか食器が違う場所に置かれているというようなことがしばしばあったという。
⇒ 報告書 / 店舗の怪 / ファミリーレストランG S店
・ 火 災
須磨浦や一ノ谷の周辺では火災が多く、それは源義経の奇襲に遭い、陣営に火をかけられ壊滅状態に追い込まれた平氏の呪いだという。
⇒ 異聞抄(兵庫) / は~ほ / 「平家の呪い」
・ 境 川
鉢伏山の西を流れる堺川(近世は「境川」と表記)はかつての摂津国と播磨国の国境で、現在も須磨区と垂水区の区境となっている。
源平合戦にまつわる怪談ではないが、境川は霊の通り道「霊道」だという話がある。須磨一帯の海では、事故、自殺、事件による水死体が毎年数10体(注.3)の遺体が発見されているという。
霊は成仏を望み高い所を目指して集まるという話があり、霊が須磨の海からこの川を遡って鉢伏山、鉄拐山へと昇って行くのだという。
・ 横尾山
鉢伏山の少し東の横尾山での不思議な体験談が2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)オカルト板の「兵庫県の心霊スポット part4」には、次のような書き込みが見受けられた。
453 :本当にあった怖い名無し :2005/04/18(月) 05:21:22 ID:D9zDW1CM0
鉢伏山とはちょっとズレるが、その東の横尾山で洋傘にドレスを纏った貴婦人を見た。
本当にいたのかもしれないが、追いつかなかったし、あの姿で登山は変。
(引用元:2ちゃんねる オカルト板 「兵庫県の心霊スポット part4」. http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1108684450/)
余談になるが、兵庫県には同名の「鉢伏山」が養父市と美方郡香美町の市町境にもある。山頂部に大きな鉢を伏せたような窪みがあり、その形状が山名の由来と言われている。南側(養父市側)にハチ高原、北側(香美町側)にハチ北高原が広がり、関西有数のスキー場として知られている。
鉢伏山の登山口の側には「神戸村野工業高校山岳部 遭難慰霊碑」がある。昭和41年(1966)1月5日、鉢伏山で神戸村野工業高校山岳部の三人の方が遭難して亡くなっている。
また、神道系新宗教「大本」では教祖である出口王仁三郎が鉢伏山を龍宮の乙姫のご神体としたため、聖地とされている。
こちらの鉢伏山にも怪奇現象の話があるようで、「本当にあった怖い話 全国心霊スポット 事故物件」様(https://kowai.site/)に「鉢伏山キャンプに行ったあとの金縛り」という話が掲載されている。
(参 考:本当にあった怖い話 全国心霊スポット 事故物件 「鉢伏山キャンプに行ったあとの金縛り」. https://kowai.site/鉢伏山キャンプに行ったあとの金縛り)
2025/01/21 「死の谷」、「須磨浦公園周辺の住宅街」、「小学校」を追記。
※おことわり
(1) 本記事の内容は“ミステリースポット”の紹介として掲載をしているものであり、特定の地域、人物、組織(企業、団体、機関等)、住宅等の名誉棄損、誹謗中傷、揶揄等ならびに業務の妨害等を目的としたものではないことをご承知おきください。
(2) 可能な限り事実確認、検証をしておりますが、情報源は風聞によるところも多く、とりわけ「怪談」や「不思議な話」といった類の物としてお読みいただければと存じます。
(3) 一切の名称、所在地及びそれらに類する情報、及び画像等については公開できことないことをご承知おきください。
注.1 ポートアイランド、東部臨海工業地帯等の造成用の土砂採取により消滅、現在の高倉台団地。
注.2 兜の頭部を覆う部分。 兜の本体。
注.3 要出典。