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兵庫県加古川市にある平荘湖は、東播磨臨海部に工業用水を安定供給する目的で昭和36年(1961)度より兵庫県により着工され、同41年(1966)5月に完成し一部給水を開始、同45年(1970)4月より全面給水が行われた。 湛水面積約1キロ平方メートル、有効貯水量900万トンで、1日20万トンの給水能力を有する。 周辺は自然に恵まれ、春は桜、ミモザ、夏はアジサイ、秋は紅葉、冬は鴨などの渡り鳥が訪れ、四季を通じて自然に触れ合える環境にあり、湖畔には、「市立少年自然の家」や「県立東播磨青少年館」などの施設もある。また湖周を巡る道路はジョギングやウォーキングを楽しむ人をよく見かける。
休日ともなれば余暇を過ごす人で賑わう平荘湖だが、そんな平荘湖にはもう一つの違った側面があった。
湖底に多くの古墳が水没している事は先に述べたが、又平新田村が湖底に沈む前に、喜谷美宣氏により周辺の古墳の調査がなされた。
余談になるが水面に子供が立っていたという話は、平荘湖の湖底に沈んだ又部新田村に伝わる「又部の弁天さん」という昔話を思い起こさせた。これは、又部新田村に弁天池という大きな池があり、池の北東隅の島に弁財天が祀られていた。この弁財天がしばしば稚児に化けて現れ、池のうてみ(洪水吐)の上に立たれたという言い伝えがある。現在、弁天社は湖の南岸に移築されている。
ここでは幾度となく自殺があった(らしい)ということは先に触れたが、県内で起こったある未解決事件に深く関わっていると思われる人物がここで自殺していたというのだ。 以下に平荘湖で私が見たなかで気になった場所を列挙しておく。
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平荘湖の湖畔に建つ慰霊碑。事故や自殺で亡くなった人の慰霊碑かと思いきや、加藤進一郎という方の慰霊碑であった。
古墳の調査中に無くなった関係者とはこの人の事なのだろうか?現在詳細を調査中。 2018/02/21 追記 この慰霊碑に名前が刻まれている加藤進一郎氏とは、前述の古墳の調査中に亡くなられた方であった。 昭和41年(1966)5月4日早朝、春休みを利用して数名の友人と共に平荘湖の南に在るカンス塚古墳の最終調査へ向かう途中水難事故に遭遇。 警察をはじめ地元消防団らの懸命の捜索にも関わらず加藤氏は発見されず、翌日になって水中で遺体となった加藤氏が発見された。 20歳という若さであった。 ![]()
平荘湖の湖周道路から雑木林の中へと入る山道があり、入口に「別当谷コース入口」と書かれた小さな看板がある。さらにそこから少しばかり進むと、雑木林の中に「別当谷入口」と書かれた大きな看板がある。ハイキングかオリエンテーリングのコースかとも思われるが、雑木林の中に続く道はおぼろげで、それ以上先には進まなかった。
別当とは 【1】律令制度の下で令外官として設置された検非違使庁や蔵人所などの責任者。 【2】平安時代以降の院、女院、親王家、摂関家以下の公卿の家政を担当する院司、家司の長官。後にそれらの家に設置された政所 、侍所などの家政機関の長。 【3】諸大寺で寺務を統括する長官に相当する僧職。 【4】御厨(神社所有の荘園)の厩務員。馬丁(乗馬の口とり、馬の世話役)。 【5】盲人の官位の第二位(最高位の検校から順に、別当、勾当、座頭)。等の役職の呼称。 地名の由来に関しては分からないが、別当職の者がこの辺りに住していたのかと思われる。 兵庫県神戸市北区桂木に別当谷公園、石川県白山市に別当谷がある。 |