松原刑場跡
(平福藩刑場跡)

処刑場跡に建つ六地蔵 平福の町の南端、金倉橋のたもとに「南無阿弥陀仏」と刻まれた供養碑と共に六地蔵が並んでいる。
ここは江戸時代、平福藩の処刑場であり、義民牛ェ門もここで処刑された。この供養碑と六地蔵はここで処刑された人々の追善供養のため村人によって建立されたものだという。
供養碑には元禄九年(1696)の銘があることから、六地蔵も同じ時期に建立されたものと思われる。

また、ここは剣豪宮本武蔵の最初の決闘の地と伝える。
武蔵が十三歳の時、「何人(なんびと)たりとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ日下無双(ひのしたむそう)兵法者なり」という神道無念流(新当流)の槍の使い手、有馬喜兵衛の立てた高札(こうさつ)を見て、ここ金倉橋のたもとで勝負を挑み、一刀のもと有馬喜兵衛を倒したといわれる。
ここから武蔵は諸国修行の旅に出たという。






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