また、ここは剣豪宮本武蔵の最初の決闘の地と伝える。 武蔵が十三歳の時、「何人(なんびと)たりとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ日下無双(ひのしたむそう)兵法者なり」という神道無念流(新当流)の槍の使い手、有馬喜兵衛の立てた高札(こうさつ)を見て、ここ金倉橋のたもとで勝負を挑み、一刀のもと有馬喜兵衛を倒したといわれる。 ここから武蔵は諸国修行の旅に出たという。