ホテルアジア

ホテルアジア
神戸市の中心部、官庁やオフィスビルが建ち並ぶ中、そこだけが異質な空気に包まれた一角がある。
表通りから少し入った所にある廃墟となったホテルアジア。

以前、仕事で夜にこの前を通ったことがあるというS氏にご案内戴き現地へと赴くが、S氏も夜に一度来ただけで、加えて一方通行の通りが入り組んだ街中でのこと、目的のホテルアジアが見つからない。
車で周囲を行ったり来たりする事数分、ようやく目的のホテルアジアを見付ける。

ごく稀に心霊スポットを扱ったサイトでこの建物(ホテルアジア)の事が扱われているのを見掛けるが、不気味な廃墟という事だけで心霊現象が起こるのか否かついては述べられていない。どちらかというと廃墟を扱ったサイトで取り上げられているのを見掛けることの方が多いかもしれない。

実際に中に入ったことのある匿名希望さんから伺ったお話によると

「中はかなり荒れてましたよ。バイ○ハザード2の警察署なみに。変な水槽とか自販機とか? 三人ぐらい生活していたかな? でも夏は外にいるでしょう。
(中略)
(所用で)あのホテルの横にクルマ停めて帰ってきたらゾンビみたいな奴
(管理人注:ホームレス?)が出てきた記憶が・・・思わずカバンで叩いて逃げてきましたよ。」

ということだった。

話から察するに、どうやらホームレスか何かが住んでいるのではないだろうか。

実際にホテルアジアを訪れると、たしかにそこだけ一種異様な空気に包まれている…
日に焼けて変色した「ホテルアジア」の大きな看板が掲げらたままとなっている。
ラブホテルだったという話もあるが、情報に乏しく、いつ頃営業していたどのようなホテルだったのか等詳しい事は分からなかった。

このホテルが異様な雰囲気を放っている最大の要因は、廃墟のような状態でありながら明らかに生活臭がする事にあった。
正面の入口は塞がれていたが、従業員用出入口と思しきドアは派手な山吹色に塗られ、ドアには「国際交流○会」等の中国の何かの団体と思われる張り紙がしてある。
ホテル側面の窓や壁にも中国語(と思われる文字)で書かれた張り紙がいくつか貼り付けられており、明らかに誰かが住んでいる様子を呈している。
このホテルの関係者なのか不法占拠なのかは定かでは無いのでその辺りについての言及はここでは控える。
異様という意味ではかなり異様な空間ではないだろうか。

2017/05/18 追記
これだけ大きなホテルの廃墟が町の中に在るにも関わらず、ホテルアジアに関する情報は非常に少ない。
それもで、これまでで得られた情報を僅かではあるがここに追記する。

 心霊スポットと言われているわりに具体的な目撃情報や体験談はほとんど聞かないが、オカルト好きの知人から「屋上に人が立っているのを見た人がいる」という話をネットで見た、と教えてもらった。
 未確認情報だが、このホテルアジアは神戸港に入港する船舶の船員の宿泊を対象に建設された? 営業していた? と言われている。
 廃墟のまま放置されていたのは、所有者が華僑(外国に移住している中国人)の方であり、土地買収等の手続きに時間がかかったためらしい。
 平成25年(2013)2月、解体。

2025/05/15 追記
2025年5月3日、いつもお世話になっているSさんとお会いした時に、ホテルアジアについて次のような話をお伺いした(大意)。
ホテルアジアは神戸港に来たポルトガルの船員の方がよく利用していた。
ホテルが建っている場所は処刑場の跡だという話を聞いた。

同月14日、先ほどの話についてS氏に更に詳しく伺うことが出来たので、ご本人の了解を得て下記に要約して書かせていただく。

長い間利権の関係で揉めていたために、近年まで廃墟のような状態で存在していたが、ようやく折り合いが付いたようで解体、整地され現在跡地はコインパーキングになっている。
神戸港に来たポルトガルの船員の方がよく利用されていたという話については、S氏の遠縁のご親戚の方が付近の貸しスタジオで写真撮影をされた時、S氏はお手伝いとして同行。待ち時間の合間にビルのオーナー兼スタジオ会社の方からその話をお聞きしたということで、「(直接お聞きしたので)間違い無いと思います」と言われていた。
撮影当日、車を停めて撮影用の機材を運び込む時にS氏がホテルアジアの近傍を通った時、「日本人ではない浮浪者が棲みついているような。。。」「ビンラディンみたいな髭ボーボーのオッサンが毛布に包まって目👀だけギョロギョロ動かして物乞いしてたり。。。」「無料の聖書🆓お配りします、とか…(英語)」といった一種異様な光景を目にされたと言われていた。
続けて、
「推測ですが…
ホテルのオーナーは元々、別の人(船員組合が管理)でバブル期に華僑の人間が買収⇨転売予定がバブル経済が破綻してパァ、しばらく(長期に渡り)放置、競売に掛かりかけては妨害(所有者が何100人といて手をつけさせない手口)いよいよ法的な執行期限が近づいて華僑が手放して国有地になったみたいな感じですかね…解体費用も大変だったと思いますよ😖
昔、元町の高架下(通称モトコー)には汚ーい中華料理屋とかいっぱいありましたがメニューには❓語(língua portuguesa)⇦多分ポルトガル語🇵🇹だったかと。ポルトガルからの船員が多かったんでしょうね。 何故、繋がりが深いのか全く❓ですが…」

と、ご自身の推測を交えて解説くださった。

江戸時代末期、神戸港が開港し多くの外国船が寄港するようになり、明治時代には外国人居留地の他に、雑居地という外国人の居住区域が広がって行った。
明治32年(1899)に日本に初めてポルトガル領事館が開設されると、ヴェンセスラウ・デ・モラエス(Wenceslau José de Sousa de Morais , 1854 - 1929)が在神戸副領事として赴任。後に総領事となり、大正2年(1913)まで勤めた。
開港時に欧米人と共に日本に移り住んだ華僑の人たちは、居留地の西に隣接した中華街(南京町)に住み、当初の華僑は港湾関連に従事する人が多く、通訳や貿易業務を補佐、神戸の経済発展を後押ししたといわれる。



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