豊岡市城崎町と竹野町を結ぶ県道9号線に、鋳物師戻(いもじもどし)トンネルという変わった名前のトンネルがある。
山の中にある古い(建設から50年近くが経つ(2024年現在))トンネルで、照明も少なく、何かが出てきても不思議では無い雰囲気が漂っている。
昭和40年後半から昭和50年前半頃、このトンネルに幽霊が出るという噂があった。何分にも半世紀ほど前の噂話程度の事なので、当時の事を尋ねてみたが具体的な話は聞くことが出来なかった。近年になってからは幽霊の噂は聞かないようだ。
余談になるが、鋳物師戻(いもじもどし)トンネルという変わった名前は、トンネルのほぼ真上、城崎町と竹野町の町境にあたる「鋳物師戻峠」(と峠の名前の由来となった「鋳物師戻しの大岩」と呼ばれる巨大な岩)に由来している。この大岩、里山整備事業の説明看板によると高さ19メートル(高さ約15メートルの岩の上に、4メートルほどの岩が乗っている)、重さ100~140トン。
明治以前、旧道(注.1)や、山陰本線(注.2)、但馬海岸道路(注.3)といった鉄道や道路が出来るまでは、鋳物師戻峠を通るこの道(旧々道)は城崎と竹野を結ぶ唯一の道として古来より交通の要衝だった。
その昔、京の都から但馬に来ていた鋳物師(注.4)が城崎での仕事を終えて、京を目指しこの峠を歩いていた。山中の大岩に差し掛かった時、突然地震が起こり目の前の大岩がゆらゆらと揺れていた。その様子を見た鋳物師は恐ろしさのあまり先に進むことが出来ず、もと来た道を戻っていったという話がある。以来、この大岩を「鋳物師戻しの大岩」と呼ぶようになった。
『但馬故事記』、『古事大観録』、『国司文書別記 但馬郷名記抄』、『校補但馬考』などによると、この話は奈良時代の天平6年(734)4月のことであったと記されている。それによると伊多首(いたのおびと)(注.5)の部属人(注.6)が採掘した金の荒金(注.7)を背負い阿金谷峠(現在の鋳物師戻峠)に通りかかった時、突然地震が起こり(注.8)目の前の大岩がゆらゆらと揺れていた。その様子を見た金鉱採掘の役夫達は恐ろしさのあまり先に進むことが出来ず、もと来た道を戻っていった。以来この峠を「鋳物師戻峠」と呼ぶようになったとある。
参考データ |
路線名 | 県道9号豊岡竹野線 |
延 長 | 280.0m |
幅 員 | 6.0m |
竣 工 | 昭和50年(1975)3月 |
施 主 | 兵庫県 |
施 工 | 川嶋工務店 |
注.1 明治時代初めより山陰線開通(注.2参照)まで使用されていた。
注.2 明治45年(1912)開通。
注.3 昭和37年(1962)第三期工事が終了し竹野町への道が開通。
注.4 「いものし」とも。鋳物をつくる職人。鋤(すき) などの農耕具、鍋、釜などの生活道具から、梵鐘、仏像、果ては武器などを鋳造した工人(技術者)。
注.5 郡司の矢田部連守柄(やたのべのむらじもりつか)の命によって、神亀2年(725)に発見された竹野谷の金鉱より金を採掘していた一族であったと伝える。
注.6 大化の改新以前、大和政権に属した人々で、朝廷、皇族、豪族の支配のもとに労力や貢物を提供した。
注.7 山から採掘したままで精錬してない金属。
注.8 この天平6年(734)の地震については中央の正史には記されていない。