K山の廃屋
(幽霊屋敷、心霊屋敷)

K山の廃屋
K山と呼ばれる場所のKという住宅街の入口にあたる所に廃墟となった一軒の家がある。(※ 現在は解体撤去されている)
庭木は伸びるに任せ家を覆うほどに生い茂り、玄関の門扉は崩れ落ち、玄関のガラスは割れ、辺りにはゴミが散乱しているといった荒れ様だ。
玄関には「売物件」という連絡先の書かれた看板が掛かっているが、もはやその荒れ様はとても売物件とは思えない。

廃墟の醸し出す特有の空気も然ることながら、それ以上に異様な光景はこの家の建っている場所のせいと思われた。
この家の前は道を挟んで一面に墓地が広がり、この家の南に面した一段低くなった所にもまた別の墓地が広がっている。つまり、正面も南側も墓地という場所にこの家は建っている。
住む人も無く荒れるに任せているこの家は地元では幽霊屋敷として知られているらしく、この家にまつわる様々な奇怪な噂を聞く事が出来た…

真偽のほどは定かではないが、この家はかつて墓地であった場所を造成して建てられたと言われている。
これまでに何度となく住人が変わっており、この家に住んだ誰もが入居して僅かで逃げるようにこの家を出て行くのだという。
しかも、この家を出て行った人は誰もが口を固く閉ざし出て行く理由を語ろうとはしないという。
この家は(先にも触れたが)墓地を造成して建てたということもあってか、この家の建ってる場所というのが霊達の通り道の上に当たるらしく、住んだ人は連日連夜怪現象に悩まされ、遂にはここを出て行くのだという話だった。
それらの怪現象とは、「壁に赤ん坊の顔が浮かび上がっている」(情報提供:タカ01様)、「座敷わらしが出る」(情報提供:みっちょん様)、「夜中に赤ん坊の泣き声が聞こえる」(情報提供:Gova様)という様なものだった。
また、ネットの掲示板などでは「緑が丘の家」という名でも呼ばれているようで(※ 実際の住所は緑が丘ではない)、この家で起こる様々な怪現象が映画『呪怨』のモデルになったという話まである。

最初にこの「K山の廃屋」について書いたのが2002年4月。
その翌年の2005年7月中旬にH.N.三木市民様から「K山の廃屋」について、以下のような情報をお寄せ頂いた。
あそこは地元では、「幽霊屋敷」とか「心霊屋敷」とか呼ばれていました。
私も人から聞いた話なので実際のところは定かではありませんが、この心霊屋敷の建っている場所は、かつては「後産」(注1.)を埋める場所だったそうです。そんなことも、怪奇現象の起こるひとつの原因になってるのかもしれませんね。
現在は、解体撤去され、隣の家の庭になっていて、その頃の面影は全くありません。

私がここについて調べ始めた頃、ここで起こる怪現象がどの様なものなのか定かではなかった。しかし、皆様から寄せられた情報を見るとひとつの共通点があることに気付いた。
壁に浮かぶ赤ん坊の顔、夜中に聞こえる赤ん坊の泣き声、座敷わらし(民俗学者佐々木喜善は座敷童子について、口減らしのために間引かれた子供の霊ではないかと述べている)、『呪怨』のモデルになったという話、これらの怪現象は何れも幼くして亡くなった子供の霊によって起こされていうのではないだろうか。
更に、墓地に隣接するこの場所は前出の三木市民様のお話によると、かつて後産を埋める(捨てる)場所だったという。
これは私の想像でしかないが、穿った考え方をするならこの辺りは後産を埋める場所だけでなく(病原体による汚染等の観点から後産を埋めるという事は普通に考えられる事ではあるが)、かつては間引きされた子供たちが埋められた場所でもあったのではないだろうか。
後産を埋める場所というのは世間を憚るためであり、ここには間引かれた子供たちも埋められていた。そう考えるのは飛躍しすぎだろうか。

補記
2015年8月22日の追記として、
ここを【情報提供のお願い】に掲載されている「#54 緑ヶ丘の呪われた家」とする話もあるが、緑ヶ丘と本箇所は(仮に緑ヶ丘の中心からとして)直線でも約数km離れており、緑ヶ丘の呪われた家とは別物と考えられる。
と書いたが、その後の調査等により本箇所(K山の廃屋)がほぼ「緑ヶ丘の呪われた家」と同じものであるという結論に到る。


注1. 出産後に娩出される胎盤や卵膜。


2017/12/20 加筆再編集。






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