川尻峠
(要検証)

ここが川尻峠か?
朝来市生野町川尻でJR播但線が市川と交差する辺りがそうだという。
下記サイトで「川尻峠」と表記されているが、現地は車一台分程の狭い平坦な道が市川沿いに走っている場所で特に峠ではない。

「全国心霊マップ」様で心霊スポットとして紹介されており、それによると、昔(年代不詳)ここで80余人の死者を出す機関車による鉄道事故があり、夜になると大勢の人間の足音や呻き声が聞こえるといった旨の説明がされている。
また、上記サイトの内容を受けて紹介したと思われるサイトもあるが、そこにも機関車による鉄道事故で多くの死者が出たことによる曰く付きの場所といったニュアンスの事が一行書かれているだけである。

80余人の死者を出すほどの鉄道事故ともなれば記録に残っていて然りなのだがそれらしい事故の記録は一切見当たらない、

真名谷トンネルそばに建つ弔魂碑 死者の数こそ違うが、ここから直線で南西に1.5キロメートル程離れたJR播但線真名谷トンネル(神崎郡神川町渕)で蒸気機関車が脱線転覆するという大きな鉄道事故(播但線真名谷トンネル列車脱線転覆事故)が起こっている。この事故と何か他の話が混同されこの様な噂が出来たのだろうか。
この事故は昭和34年(1959)4月6日4時45分ごろ、福知山発溝口行きの臨時回送列車が脱線転覆、蒸気機関車と前部3両が大破、福知山鉄道管理局豊岡機関区所属の機関士と機関助手の2人が即死するという事故であった。
現在、真名谷トンネルの傍には昭和58年(1983)遺族有志が建立した「弔魂碑」と刻まれた石碑が建っている。
(※ ここ(弔魂碑及び事故現場)は心霊スポットではありません、興味本位で訪れることは厳に慎んで戴きたい。)


弔魂碑 碑文

昭和三四年四月六日未明この地において神崎郡の妙心寺参拝団を迎えるべき臨客第八六三〇列車が脱線転覆し乗務中の
  豊岡機関区機関士 成田政夫 三五才
  同     機関助士 尾形浩之 二四才
の二名が殉職した
列車はC五四三号機が逆行で定数を牽引していたもので生野隧道内での登坂にあたり乗務員は逆風が追い上げる猛煙と熱気の中で懸命の投炭と操縦に力尽きて窒息し生野駅での通票授受もないまま逸走して惨事に至ったと推定される
ここに故人の二五回忌を迎えその痛恨の死を悼みつつ二柱の霊安からんことを祈念してこの碑を建立する
   昭和五八年四月
              有志一同




参照元 : 「全国心霊マップ」様より「川尻峠」






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