景福寺山・ホテル ロンドン

松平明矩霊廟 世界文化遺産姫路城の西方に高さ51メートル程の景福寺山という小丘がある。
『播磨國風土記』に登場する十四の丘の一つ「船丘」の比定地とされ、西岸寺山(せいがんじやま)、孝顕寺山(こうけんじやま)、嵐山(あらしやま)、郡鷺山(むれさぎやま)と幾度と無く名前を変えるが、山麓の寺院が景福寺となってからは景福寺山に落ち着いた。

姫路城を指呼の間に望む景福寺山は男山(姫路城の北西にある標高57.5メートルの小丘)と共に古くより防衛の要と考えられ、戦国時代には土豪が嵐山城を築きこれに拠っていたが、領主である赤松氏に従わなかったため城を追われたと伝える。
嘉吉の乱(1441)後は、山名宗全の家臣、雨夜兵庫助氏武が拠っていた様である(高栖山城)。
慶応4年(1868)、京都鳥羽伏見で朝廷と幕府の戦いが起ると、姫路藩が幕府側に属したことから岡山藩がここ景福寺山と男山に兵を配し、姫路城を砲撃して開城させるなど歴史的に重要な場所であった。

景福寺山は全体の七割を墓地が占めている。江戸時代から続く古い墓地で、古いものでは天保年間(1644〜1647)の銘の墓石から、姫路藩士、江戸期の豪商、初代青野ヶ原捕虜収容所所長の墓碑などが山中に散在している。
麓にはつい最近(2005年6月当時)まで火事で焼けたラブホテル「ロンドン」の廃墟があった。
火災の原因は宿泊客の火の不始末といわれ、この時の火災で宿泊客5〜6名が亡くなったといわれる。火災の後、経営者の奥さんが自殺したという話もあるが真偽のほどは定かではない。
全焼は免れたもののホテルとして営業を再開するにはあまりにも被害が大きく、焼けたままの無残な姿で放置されていた。
廃墟となったホテル ロンドンは地元では心霊スポットとして知られる存在となった。火災で亡くなった人の幽霊がホテルの中を彷徨っているらしく、肝試しにきた若者たちがここで何度となく幽霊を見たという。また、廃墟となったホテルから覗いている人影を見たという話や、中で写真を撮ったら霊が写っていたという話等がある。更には、肝試し等で面白半分にここを訪れると後で必ず不幸な出来事が起こるとも言われていた。
廃墟となったホテルにはいつしか複数人のホームレスが住むようになっていたようで、これらを幽霊と見誤ったのではないかという話もある。

ホテル ロンドンには、実は火事になる以前から奇妙な噂があった。
ホテルが建っている場所にはもともと多数の武士の無縁仏が眠る墓地が在ったという。ホテル建設以前、何度となく土地開発業者がここを住宅分譲地として造成しようとした事があったそうだが、工事に係わった人達(建設作業員ともいう)が相次いで亡くなるという事が起こり、以来タタリを恐れて誰もここの造成工事には携わるものがいなくなったといわれている曰く付きの場所であったという。
その後、ここにホテルが建設されることとなるのだが、あろう事かそこにあった墓石もろともそのまま造成し、その上にホテルを建設したといわれている。それ故、このホテルが火災に遭った時、人々はタタリだと口々に噂したという。 墓石を移動させずに造成したとか、造成中に死亡事故があったという話の真偽のほどは確認が取れていないが、墓地を造成してホテルを建設した事は事実である可能性が高いようである。そのため、(くどいようだが真偽のほどは別にして)建設作業中に作業員が亡くなったとか、(営業中の)ホテルに幽霊が出ると言った話が広まり、風評被害により経営は悪化、事実上の休業状態となっていた。そんな折、不審火或いは放火により火事となったという話もある。

昭和59年(1984)頃だろうか、そんな事など全く知らなかった私は友人を伴いこの小丘に雨夜氏武の足跡(高栖山城)を求めて訪れたことがあった。
その時、偶然この焼け落ちたホテルを目の当たりにしている。
火災云々や心霊スポットと言った話はおろか、そこにホテルが建っている事さえ知らなかった私と友人は不気味だとは思いながらも目の前に現れた廃墟の中を少しばかり見て歩いていたことを覚えている。
外壁が焼け焦げて黒くなった本館と思われる建物(曖昧な記憶だがRC造3階建てだったと思う)の割れた窓から中を覗くと、辺り一面黒く焼け焦げ、焼け残った部分も酷く荒らされ、壁には無数のラクガキ、窓ガラスなども悉く破壊され、焼け残った別館?と思しき建物も半分以上が崩れ落ちているという有様だった。

景福寺山の山頂を目指し雑草の中、倒れたり傾いたりしたいくつもの墓石の中を進んで行く。訪れる人も居ないのだろう、酷く荒れていた。
山頂には姫路城主松平明矩墓所の大きな五輪塔が佇んでいた。周囲は雑草が生い茂り、廟所を囲む玉垣も石門の扉も悉く倒れ崩れ落ちている光景に一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。

ホテル ロンドンは平成15年(2003)頃に解体撤去され、山麓が住宅地として、中腹部分は「景福寺公園」として整備され、展望広場、お花見広場などが設けられている。しかし、この景福寺公園も荒れるに任せ雑草が生い茂っていた。
山頂にある松平明矩墓所も今となっては道が無くなっていて辿ることは出来なかった。
ホテルの解体撤去・整地作業の時、地元業者が嫌がり何処も請け負ってくれなかったため、作業は地元とは関係の無い所の業者に任されたという話もある。
噂によると、跡地に隣接して建つマンションでは今尚怪奇現象が起こっているという…

余談だが、ホテル ロンドンの北東550メートルほどに在った「ホテル ロ○シ○ン」にも幽霊が出るという噂があった。

2011/04/11 追記
市街地にも係わらず、景福寺山が開発されずに残っているのは開発しようとするとタタリがあるからだと言う話を書いたが、それとは全く逆の理由を聞いたのでここに追記する。

開発に着手できない理由のひとつとして、まず山の大半が景福寺の墓地となっていることが挙げられる。墓地を移転させるのであれば当然景福寺の承諾が必要であり、加えてこれらの墓碑は数も多く何れも古い物が多いため移動が困難な事、更に移転先の代替地の確保などを考えると採算が合わない。
次に、墓地で無い部分の大半は傾斜地で、開発に係るコストとそれによって得られる利益を考えると採算が合わない。また、傾斜地ゆえ土地の境界線が複雑で地権者諸々の問題もあるらしく、それらの理由から景福寺山は開発されずに残されているのだと言う話もある。


2018/03/29 加筆再編集。






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