松ヶ丘古墳

松ヶ丘古墳
神戸市垂水区と明石市にまたがる南北約3キロメートル、東西約1キロメートル、約197ヘクタールの土地に1万世帯以上が暮らす「明舞団地」。兵庫県と兵庫県住宅供給公社が開発し、昭和39年(1964)に入居が開始された県内最古のニュータウンの一つである。
明舞団地の明石市側、松が丘公園の中にひとつの古墳がある。
かつて周辺には舞子古墳群、多聞古墳群があり、合わせて100基を超える古墳が存在していたが、明舞団地の造成に伴い発掘調査を行った後、ほぼ全ての古墳が破壊された。
この時、多聞地区(神戸市垂水区南多聞台辺りか?)に在った6世紀後半の古墳一基が、昭和41年(1966)に松が丘公園(面積3ヘクタール)に移設保管された。これが松が丘古墳である。
入口は鉄製の柵で封鎖されている。右片袖式の横穴式石室を有し、鉄柵越しに中を覗くと羨道(えんどう、せんどう)から玄室(げんしつ)のほぼ全体を見ることが出来る。自然に崩落したのだろうか、或いは開発時に破損したのだろうか、天井部分はコンクリートで補完されている。
石室が露出したその見た目から「防空壕」と誤解されていることもあるようだ。
また、前面に鉄製の柵が設けられていることから、子供の間では熊の檻(中に熊がいる)といった話や、中には古墳の主である死体(被葬者)或いはミイラが閉じ込められているといった冗談の様な噂もあったようだ。
以前明舞団地に住んでいた知人によると、深夜にこの石室より白い煙のようなものが吹き上がるという話を聞いたと教えてくれた。
古墳のすぐ傍には「白雲大明神」(祭神不詳)という小祠が祀られている。「白い煙」と「白雲大明神」という名前になにか因果関係でも有るのだろうかと考えてしまうのは些か飛躍しすぎだろうか。

公園の北西部には「こどものくに」が設けられており、コンクリート製の実物大のキリン、カバ、サイ、ライオン、トラ、シマウママなど数多くの動物が設置され、さながら動物園の様である。
前出の知人は、住民が寝静まった頃にこれらの動物が公園内を動いているという噂があったとも教えてくれた。

同じ明石市の白雲桜の傍らに「白雲社」(注.1)、京都府に「白雲大明神」(注.2)、「白雲神社」(注.3)という神社が在るが、関連があるのか否かについては定かではない。

注.1 白雲社(はくうんしゃ)。明石市桜町8。
かつて明石城外堀に面した五十嵐三右衛門の屋敷の裏庭に大きな枝垂桜があり、咲き誇る花がまるで白雲がたなびくような姿であったことから白雲の桜と呼ばれ名所となった。明治維新で明石城の外堀が埋められた時、五十嵐家に伝わる白雲桜の老木(4代目)は伐採することを惜しまれ、現在の場所に移植された。現在5代目の白雲桜が植えられている。その白雲桜の傍らに鎮座するのが白雲社である。
白雲社の祭神については詳しい事は分からない。五十嵐家の屋敷神として祀られていたものであろうか。また、この地には「狐の恩返し」の昔話が伝わっており、その昔話に登場する狐の親子を祀っているのかもしれない。
注.2 白雲大明神(しらくもだいみょうじん)。京都府京都市東山区五条橋東2。
路地の突き当りに祀られている小祠。祭神については詳らかではない。
注.3 白雲神社(しらくもじんじゃ)。京都市上京区京都御苑内。旧社格は無格社。
祭神は妙音弁財天と称する市杵島姫命。旧西園寺家の鎮守社で、元仁元年(1224)に西園寺公経が北山殿造営に際し建立した妙音堂に由来するとされる。西園寺家が琵琶の宗家であることから音楽の神として祀られてきた。



2022/07/07 加筆再編集






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