宮山古墳

宮山古墳
宮山古墳は、市川下流東岸にある標高33mの尾根の突端に築造された古墳時代中期(5世紀)の大形円墳で、直径約30メートル、高さ約2メートル(往時は約4メートルほどの高さがあったと推測される)、西側に造り出しをもっている。墳丘に主軸を東西にする3基の竪穴石室が造営されていた。
昭和46年(1971)、造成工事に使う土取り工事のため重機が入り、2基の石槨(第1主体部、第2主体部)が破壊された。
この時、墳丘の封土を削り取った建設業者の社長が変死した。人々は古墳を破壊したタタリだと噂した。
ここでは、肝試しに来た人の懐中電灯が突然点かなくなったり、携帯電話やカーステレオが突然おかしくなるという事が起こっているという。

以下、宮山古墳について。(一部重複有)

宮山古墳は、市川下流東岸にある標高33mの尾根の突端に築造された古墳時代中期(5世紀)の大形円墳で、直径約30メートル、高さ約2メートル(往時は約4メートルほどの高さがあったと推測される)、西側に造り出しをもっている。墳丘に主軸を東西にする3基の竪穴石室が造営されていた。
昭和30年代後半に第1主体部が盗掘を受けたため、昭和44年(1969)、姫路市が盗掘されていた竪穴式石槨の清掃などを目的に第一主体部の確認および新たに発見された第2主体部の調査を始めた。
この調査で、南側にほぼ未盗掘の第2の石槨が確認され、副葬品は石槨の隅に固まった状態で残っていた。
北にある第1主体部は盗掘されていたが、南にある第2主体部からは「垂飾付耳飾」(すいしょくつきみみかざり)1対、「爬竜鏡」(はりゅうきょう)、玉類や多量の鉄製品などが出土した。さらに、その下から第3主体部が発見され、木棺内からは「画文帯神獣鏡」(がもんたいしんじゅうきょう)、垂飾付耳飾1対、各種玉類などが、棺外からも葬送儀礼に用いた埋納品の類が出土した。

2年後の昭和46年(1971)、造成工事に使う土取り工事で重機が入り、2基の石槨(第1主体部、第2主体部)が破壊された。
この時、2基の石槨よりも少し深い所から3番目の石槨(第3主体部)の存在が確認されたため、緊急調査が実施された。場所は2基の石槨の間で未盗掘の石槨だった。現在の古墳の高さはこの時の土取りで築造当時よりも1~2メートル低くなっていると推定される。
尚、調査された順に第1主体部から第3主体部と呼称されているが、実際に造営された順は、第3主体部、第1主体部、第2主体部の順と考えられる。

盗掘を受けた第1主体部は全長約4.6メートル、幅約1.8メートルの竪穴式石槨で、凝灰岩の割石を丁寧に積み上げたもので、床面は扁平な割石と川原石を平らに敷き詰められている。
出土した金銅装の金属片は甲冑の小札(こざね)。金銅装の甲冑は出土例が少なく、畿内政権から選択的に配布されたと考えられ、第1主体部の被葬者は第2主体部、第3主体部の被葬者(金銅装の武人)を凌ぐ人物であったと考えられる。ここからは盾形埴輪の破片が出土している。

最期に造営された第2主体部(桂甲の武人)は全長約3.2メートル、幅約1.2メートルの竪穴式石槨で、凝灰岩の割石を荒く積み上げた側壁に、拳大の川原石(円礫)を平らに敷き詰められている。鉄鎹(てつかすがい)が出土していることから木棺に葬られたことが分かる。
副葬品として「虺龍鏡」(きりゅうきょう)、頭環部に朴(ほお)の実の様な装飾がある「銀錯貼金環頭大刀」(ぎんさくてんきんかんとうたち)は象嵌(ぞうがん)が施され、それ以外の箇所には金が貼られている。他に武器、武具、馬具、農工具、鉄鋌(てつてい)、土器などが出土している。第2主体からは350本以上の鉄鏃が出土しており、矢を束ねて置いていたと考えられる。

第3主体部(短甲の武人)は墳丘中央の深い位置に造営されていることから、宮山古墳は第3主体部の被葬者のために造られたと考えられる。第3主体部は第2主体部に類似し、全長約3.4m、幅約1.1mの竪穴式石槨で、凝灰岩の割石と一部扁平な川原石を荒く積み上げた側壁に、床面には小振りな川原石(小礫)や割石が敷き詰められている。
鉄鎹の出土状況から被葬者は装身具を身に着け、剣を持った状態で木棺(全長約2.3メート、幅約0.7メートル)に納められたと考えられる。
木棺内からは鉄剣1口、鎖の先に銀地に金を貼ったハート形の飾りがついた「垂飾付耳飾」、「画文帯神獣鏡」、銀指輪、玉類、足結いの玉、鉄鋌(てつてい)、木棺を組んだ鉄鎹(てつかすがい)等が、棺外からは鉄刀14口と鉄剣3口、鉄甲冑(衝角付甲、短甲、肩甲)、滑石製勾玉・臼玉、鉄轡(てつくつわ)等が出土している。刀剣表面の有機質の情報から木製の鞘や鹿角製の装具が取り付けられ、柄には糸を巻いていたことが確認されている。また、石槨内の3か所からは150本以上の鉄鏃が出土しており、これは矢を束ねて置いていたと考えられている。

注目すべきは第2主体部の被葬者の愛用品と思われる銀錯貼金環頭太刀は全国的にも例がなく、第2主体部、第3主体部から出土した2対の垂飾付耳飾は全国でも30例ほどしか知られていない。また大小2通りの鉄鋌も10例くらいしか報告されていない。

宮山古墳は昭和48年(1973)に兵庫県の史跡に指定され、出土品は平成10年(1998)に一括して国の重要文化財に指定された。



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