名古山霊苑

案内板に描かれた「鐘楼」 兵庫県姫路市にある名古山霊苑は南北に細長く横たわる30メートルほどの丘陵地にあり、頂上付近には仏舎利塔が建ち並ぶ異国情緒あふれる公園墓地である。
永享年間(1429~1441)、置塩城主赤松氏の末家、那古七郎頼三(那胡七十郎頼三とも)がここに名古山構居(名古山城)を築城。天正年間(1573~1593)まで那古氏がここに拠っていたことが地誌『播磨鑑』等に見える。
明治時代に丘陵の南半分が陸軍墓地と使われていたものを、時の姫路市長石見元秀氏が「空襲で壊滅した市街地の復興には、点在する墓地の集約が必要。失業者対策にもなる。」と名古山霊苑の大改修を提案、昭和29年(1954)開園に到った。
頂上付近に建つ仏舎利塔には、昭和29年にインドのネール首相(故人)から平和を祈願して贈られた仏舎利(釈尊の分骨)を納めた金色の厨子が納められている。

そんな名古山霊苑に奇妙な話がある。
午前2時頃にこの名古山霊苑に行くと、墓石から血のようなものが流れているのを見ることがあるという。
名古山霊苑を訪れてはみたものの、広大な霊苑内には多数の墓石があり、加えて先の話以外には何の手掛かりもない。残念ながら血を流すと言われる墓石の特定には至らなかった。
また、深夜、何処からとも無く「チリンチリン」と鈴の音が聞こえて来たかと思うと、その鈴の音は物凄い勢いこちらに近づいて来て、目の前を鈴を持った老婆が走り去って行くという話もある。
この話にはバリエーションがあり、鈴を持った老婆ではなく鐘を鳴らしながらお坊さんが走ってくるというものもある。

次の目的地を探しながら霊苑内を散策する。
それは、ここを訪れる数日前に聞いたある奇妙な話の舞台へと行くためだった。
その話によると、霊苑内にある斎場の近くに「鐘楼」(鐘を撞く櫓)があり、深夜にこの鐘楼を見上げると、暗闇の中、血に染まった白い着物を着た女性が鐘楼の上からこちらを睨み付けているというのだ。
その噂の鐘楼を探して霊苑内を巡ってみたのだが、一向にそれらしいものが見当たらない。
鐘楼というぐらいだからある程度の高さがあるはずである。ウロウロと霊苑内を探しはじめて30分程が経っただろうか。霊苑内の案内板を見付けて問題の鐘楼を探してみると、確かに「鐘楼」が描かれている。
しかし、鐘楼が描かれている場所は既に何度か通り過ぎている。
まさにこれこそ超常現象か… などということも無く。
話を聞くと、この鐘楼は老朽化により近年撤去されたとのことだった。現在その跡には真新しい公衆トイレが建っていた。
鐘楼の無くなった今、女性の幽霊は果たして何処に行ったのだろう。
(霊苑の下を通るトンネルに纏わる奇怪な話は、近日別項「名古山トンネル」として掲載予定。)

以前、私が友人とここを訪れたことがあったのだが、その時に不思議な体験をしている。
その時の話はいずれ機会を見付けて体験談に書こうと思っている。


2001/10/13 追記
名古山霊苑での体験を 体験談「名古山霊苑」 としてUP。



2011/04/16 追記
Nightmare様から名古山について次の様な話をお聞きする事が出来たので追記する。

幽霊の話ではないのですが、名古山には古くから妖狐にまつわる伝承があります。
『播陽うつゝ物語』には、名護山(名古山)万太郎という名の狐が居り、ある僧侶が名古山の下を通りかかったとき、差していた傘と一緒に空に引き上げられたと言う話が記されています。
何かのご参考になれば幸いです。

古の頃より我々の住む世界とは異なる世界の住人の棲む所だった様である。






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