奈 落
1958年4月1日、その日宝○大劇場では花組四月公演「宝○春のおどり・花の中の子供たち」が公演されていた。
夜の部の公演中、月組のKさんは恋人役(男役)のMさんと抱き合いながらセリで降下するシーンがあった。
男役のMさんの衣装は体にびったりとしたタイツ姿、Kさんの衣装は円形スカート(イブニングドレスであったという)。
二人の乗ったセリは縦約1メートル、横約3メートルしかなく、この狭いセリで二人人は抱き合い、そのまま舞台下の奈落に降下していった。
恋人役のMさんは、すぐ次の役に扮しなければならなかったため、客席から見えなくなるとすぐに相手役のKさんに礼を言ってセリが下がりきるのを待たず奈落に飛び降り早変わり室に駆け込んで行った。
その直後、Kさんの悲鳴と共も何かが砕けるような音がしたという。
Mさんが振り返ると、Kさんとセリのシャフトに絡み付いた真っ赤に染まったドレスが視界に飛び込んできた。
Kさんのドレスの裾が回転するセリのシャフトに巻き込まれ、ペチコートの金属性の輪の部分がKさんの胴を締めつけ身体を真っ二つに切り離した。Kさんは即死だった。
奇しくも、この日Kさんは風邪で休んだ同期の団員の代役として舞台に上がっていて、二日目の出来事だった。
享年23(満21歳)。あまりにも短い花の命だった。

複数の要因が重なって起こった事故だが、原因として、ひとつにはセリの昇降に用いられるスクリューシャフト(ねじを切った大きな円柱)が剥き出しであったことが挙げられる。現在は法令により安全対策がなされているが、この装置(セリ)は大正時代に作られた古い物で現在ほど安全対策がなされていなかったようである。
さらに、セリを操作していた作業員が不慣れであったことも一因と言われている。
当時の新聞等によれば、Kさんの衣装ドレスには裾を広げるため、幅2センチ、厚さ1ミリのスチールベルトが、腰まわり、ひざ、裾の三ヵ所にそれぞれ直径約60センチ、70センチ、100センチと輪になって取り付けられていた。
ドレスの裾がセリのシャフトに巻き込まれたため、セリ台の枠の鉄製ベルトと舞台を支える鉄製アングルの支柱の間に足を挟まれたまま引きずり込まれ、腰まわりのスチールベルトが Kさんnの胴を締めつけ、身体が真っ二つに切断されてしまったのである。
Kさんの遺体は早変わり室(楽屋)に一時安置され、同3日に密葬。同11日には宝○音楽学校三階講堂に於いて宝○歌劇団主催で葬儀が執り行われた。遺体はその後実家に帰り、同15日、東京都墨田区にある実家で改めて葬儀が行われたという。
それでも宝○大歌劇場は翌日の公演を中止しなかった。

宝○市を管轄している兵庫労働基準局西宮労働基準監督署はKさんの死を労働災害死と認定。いくつかの安全対策(問題点及び危険個所の改善)を宝○歌劇団に要求、設備の改善までは安全な大ゼリを除く6基のセリを使用禁止にしている。

そんな悲しい事故があって以来、関係者の間では誰言うと無く、奈落(舞台の下)に現れる悲しげなKさんの姿を見たという話が囁かれたという。

かつて宝○音楽学校校庭に彼女の慰霊碑があり、毎年4月1日には本科生が献花していたが、校舎移転後の慰霊碑の所在は定かでは無い。
同年5月20日には、宝○音楽学校(旧校舎)校庭に慰霊碑が建立され、毎年4月1日には本科生が献花を行っていた。慰霊碑は現在は武庫川沿いにある宝○音楽学校駐車場内に安置され、校舎移転後も有志によって献花が行われている。
慰霊碑には、女流歌人柳原白蓮が彼女に捧げた詩が刻まれている。

「めになみだ こよいは月のなきものを 香ふさくらが うすあかりせり」

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