仁川ハイツ

仁川ハイツ跡 平成15年(2003)夏、兵庫県西宮市の仁川の山奥にユネスコ会館を凌ぐ巨大な廃墟があると聞き、半ば勘だけでS氏と共に現地を訪れた。
暫く車を走らせ、仁川ピクニックセンターを過ぎ、五ヶ池を過ぎた頃、カーブの途中でS氏が山の斜面に廃墟らしきものを発見。
安全な所に車を停め、徒歩で現地へと向かった。

目的地の名前は「仁川ハイツ」。
心霊スポットとして有名な仁川ピクニックセンターの北方、五ヶ池を挟んで対峙するような位置にある。正確には「勤労者福祉センター 仁川ハイツ」と言うらしく、古い地図を見ると大小四棟の建物から構成されていたようだ。
仁川ハイツらしき建物までの道らしい道は無く、辺りは雑木と雑草に覆われている。しかも、折悪しく丁度入って行けそうな所のすぐ傍には道路工事のガードマンが立たれている。
「誰がどう見ても不審者ですよねぇ・・・」、お互いそうつぶやきながらガードマン氏に声を掛けられるのを覚悟でガードレールとフェンスを越えて侵入(よい子はマネしない様に)。
しかし、意外にも件のガードマン氏は不思議そうな目で見ていたが、特に何も言われなかった。
雑草の中、比較的最近作られたと思われるコンクリート製の廃水路を伝って奥へと進んで行く。山の斜面には雑草に埋もれ蔦の絡まったコンクリート製の要塞のようなものが見える。
「これが探していた仁川ハイツか」と色めきたった二人だったが、それは建物の土台の一部(残骸)だった。剥き出しになったコンクリートの壁と土台、引き千切られた鉄筋と配線だけが僅かに当時を物語っていた。
確かに当時はかなりの大きな建造物であったのだろう。跡地からその広さを容易に窺い知る事が出来る。
見渡すと、斜面の土留めとなるような場所の土台のみを残して、後は綺麗に解体撤去されていた。そして、要所要所に排水用のコンクリート製の溝が設けられ、跡地は綺麗に耕地され、木々が植樹されていた。

後で知った事なのだが、仁川ハイツは平成7年(1995)の阪神淡路大震災以降閉鎖され、平成13年(2001)に兵庫県が建設会社に仁川ハイツ跡地の防災工事を受託していたという事だった。
つまりその時には既に仁川ハイツは解体されていたのだ…






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