旧 小野尻隧道
(旧 小野尻トンネル)

多可町中区と丹波市を分かつ小野尻峠。かつては西国の大名が京都守護職へ参勤するためにここを通っていたという。
この小野尻峠の下を貫くように兵庫県道86号多可柏原線の小野尻トンネルが通っている。
現在供用されている小野尻トンネルは昭和53年(1978)3月に完成したもので、それまでは現在の小野尻トンネルより30メートルほど南側を並走するように通る旧道に設けられた小野尻隧道(通称 旧小野尻トンネル)が使われていた。
明治40年(1907)着工、明治42年(1909)7月に竣工。長さ120間(約218メートル)、巾2間5分(約4.6メートル)。工事費は当時の金額で58000円。(注.1)
開通記念式典には当時の兵庫県知事、服部一三氏も参列して盛大に行なわれたという。
昭和53年(1978)、現在の小野尻トンネルの開通によりその役目を終えた。
現在は東西両方の入口は金網で厳重に封鎖されており、通ることは出来ない。

心霊スポットとしての知名度は高い割には、残念ながらどのような怪奇現象が起こるのかなどはあまり聞かないように思う。
真偽のほどは定かではないが、私が聞いた話では、1960年から1970年頃にこの辺り(トンネル内なのか周辺なのかは不明)で男性が斧で殺されるという事件があり、殺された男性の霊が今もトンネルの中を彷徨っているというものがある。
そばの電話ボックスにも幽霊がでるという話があったようだが、私が訪れた時には周辺に電話ボックスは見当たらなかった。近年の携帯電話の著しい普及による公衆電話の廃止により撤去されたのかもしれない。
詳しいことはこの後に書くが、現在、旧小野尻トンネルへと続く道は倒木等で容易に近付けないような状態にある。そのような状況にあることから(是非は別として)肝試しに訪れる者も途絶え、心霊の噂も自然消滅して行ったと思われる。

令和元年(2019)9月某日、旧小野尻トンネルを訪れた。
ここを訪れるのは今回で二回目となる。一回目は平成16年(2004)か同17年(2005)頃だったと思う。「岡山心霊突撃隊」のメンバーにして「Night Walker」のメンバーでもあるポチョムキン氏と深夜に訪れたことがあった。
今回改めて日中に訪れたのだが、いくら探しても見つけることが出来ない。兵庫県道86号線(以下県道)から分岐した旧道を通った先にあったというおぼろげな記憶を頼りに県道を行ったり来たりすること数回、ようやく見つけた山の中の険しい旧道を車で往復すること2回、さらに道を見落としているのではと徒歩で探すも全くそれらしい場所が見つからない。
スマホとカーナビで何度となく地図を確認しているのだが、あるべき道がないように思う…
車を降りてスマホ片手に歩いていてようやく状況を把握する。
旧道が旧小野尻トンネルへと分岐している部分が「牧野 峠の茶屋公園」として整備され道自体が無くなっていたのである。
いくら探しても分からないはずだ。

大体の見当をつけ歩くと、雑木林の中にわずかな隙間があるの見付けた。
雑木に埋もれてはいるが、かすかに道のような雰囲気が残っている。行く手を遮るように流れる水路を飛び越え、盛り土と(公園を整備した時に出たのであろうか)大きな石がゴロゴロと積み上げられている上を越え進んで行くと、雑草と落ち葉に埋もれたアスファルト舗装された道が見えた。
暫く進むと高さ制限の標識と思われる剥げた標識があった。
ここで間違いないと逸る気持ちを抑えて雑木林の奥へと進んで行く。足元は沢水で泥濘み、奥に行くにつれ倒木が行く手を遮る。時に下を潜り、時に上を踏み越え悪戦苦闘の末ようやく坑門に辿り着いた。
今思えば、前回訪れた時は夜ということもありそこまではっきりと覚えてはいないが、容易に坑門まで来ることが出来ていた。
坑門の手前は上から落ちてきたと思われる土砂が盛り土のように積み上がり、上部の落石防止のネットには大きな石がゴロゴロと溜まっている。これが頭の上に落ちてきたらひとたまりもないだろう。そう考えると自然と後退りしていた。
坑門上部からは水のカーテンのように沢水が間断なく落ちてくる。
持ってきていたタオルを頭にかけ、中を覗く。アーチ型の部分は煉瓦造りで、垂直になった壁部分は四角く加工された石材が使われていた。
今から100年以上も前に作られたトンネルが今もこうして当時の姿そのままに残っているのを目の当たりにし、当時の技術力や人々の苦労、トンネルが開通した時の人々の喜び、それらに思いを馳せると心霊スポットとして旧小野尻トンネルを訪れていたことなどすっかり忘れていた。

参考データ
路線名旧 兵庫県道86号 多可柏原線
延 長219.0m
幅 員4.0m
高 さ3.3m
着 工明治40年(1907)
竣 工明治42年(1909)
ポータル四重煉瓦アーチ、石組
工事費58,000円(当時)

注.1 明治30年(1897)頃の小学校教員、警察官の初任給が8~9円、熟練の大工や技術者で20円前後であったことから、当時の1円を現在の貨幣価値に換算すると2万円ぐらいになると考えられる。
一口には言えないが、小野尻トンネルの工事費58000円は現在の貨幣価値に換算すると11億6千万円ぐらいになると考えられる。






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