大輪田橋

戦災殉難者慰霊碑と大輪田橋
神戸市兵庫区の清盛塚(平清盛の追善供養塔)の傍らを流れる新川に大輪田橋というコンクリート製の大きな三連アーチ橋が架かっている。
大輪田の名は奈良時代に行基によって開かれた五泊の一つ「大輪田泊」に由来する。後に宋との貿易の拠点として平清盛によって大修築された港で、神戸港発祥の地とも言える存在であった。

大東亜戦争末期の昭和20年、米軍の非軍事施設に対する無差別爆撃は3月10日の東京大空襲を皮切りに、同12日に名古屋、13日、14日に大阪、17日には神戸に及んだ。その後、5月11日、6月5日の3回の空襲により神戸市域はほぼ壊滅状態となった。米軍の攻撃は翌8月14まで続いたという。
17日未明米軍のB29爆撃機約70機が神戸を爆撃。兵庫区、林田区(注.1)、葺合区(注.2)を中心とする神戸市の西半分が壊滅状態となった。大輪田橋の周辺は川崎重工、三菱造船、カネボウ等の工場が立ち並ぶ工業地帯であったため攻撃の対象とされたと言われている。

大輪田橋の東側に出在家町協議会が昭和22年(1947)9月に建立(平成8年(1996)10月再建)した「戦災殉難者慰霊碑」がひっそりと立っている。
その近くの橋の側面にブロックで塞がれたトンネルの跡がある。戦前、運河の両側には大輪田橋の下を抜ける遊歩道があった。
空襲の時、コンクリート製の大きな橋の下にいれば安全であろうと考えた多くの市民がこの橋の下のトンネルに避難した。
ところが皮肉にも油脂焼夷弾の炎は運河の水面を走り、火災旋風(竜巻のようであったという)が人々の避難するトンネルを吹き抜けるように襲い一瞬にして50人の命を奪い去ったという。
この空襲での神戸市全体の死者は7,423人(『復興誌』 昭和25年、兵庫県土木部計画課 刊)とも、7,524人とも、8,000人以上とも言われる。
トンネルの中は天井を中心に黒く焼け焦げた跡が残っており、炎の激しさを物語っている。

黒く焼け焦げた跡の残るトンネル 深夜、このトンネルの中から苦しそうな呻き声が聞こえるといった話や、橋の周辺を彷徨う人々を見たという話がある。

亡くなられた全ての方々のご冥福を祈ると共に、二度とこのような悲劇が繰り返されない様に願っております。


戦災殉難者慰霊碑来歴

大東亜戦争末期昭和20年3月17日アメリカ合衆国B29爆撃機の神戸大空襲に遭った此の地、大輪田橋下暗渠内で多数の方々が被爆死されました。あの悲惨な状態、猛火のもと恐怖と悔しさの地獄図は日本人として未来永劫、忘れる事はないでしょう。生き残った町住者が、尊い生命を失われた人々に深く心からご冥福をお祈りすると共にこの悲運を永く後世に伝える為、出在家町協議会の手で此の地に慰霊碑を建立しました。協議会は恒例行事として、ご命日には町住者による慰霊祭を施行しております。殉難死された方々の安らけき事を只管祈り続けん。

昭和22年9月 出在家町協議会 敬白




大輪田橋戦災・震災復旧モニュメント

 1945年3月17日の神戸大空襲では、水を求め、大輪田橋に避難した多数の市民が、炎にまかれ犠牲になりました。この橋にはその時の炎で黒く焼け焦げた跡が、今も残っています。そして50年後の1995年1月17日の阪神・淡路大震災により、この橋自体の親柱が崩れ落ちる被害を受けました。
 ここに、戦災と震災を経験した「生き証人」でもある、大輪田橋の石材をモニュメントとして再構成し、私たちの記憶に永くとどめるとともに、鎮魂の意を示すものです。

1998年10月




大輪田橋戦災・震災復旧モニュメント

 平清盛公ゆかりの地名にちなむこの大輪田橋は、1924年の竣工以来、二度の大きな災害に遭っています。1945年3月17日の神戸大空襲では、水を求め、この橋に避難した多数の市民が、炎にまかれ犠牲になりました。橋にはその時の炎で黒く焼け焦げた跡が、今も残っています。そして50年後の1995年1月17日の阪神・淡路大震災により、この橋自体の親柱が崩れ落ちる被害を受けました。  ここに、戦災と震災を経験した「生き証人」でもある親柱をモニュメントとして再構成し、その時節の冬の星座をかたどった照明によって、私たちの記憶に永くとどめるとともに、鎮魂の意を示すものです。

1998年10月
神戸市




参考データ
構 造コンクリート造三連アーチ橋
竣 工大正13年(1924)6月
 

注.1 神戸市にかつて存在した区。現在の長田区(西代を除く)の大部分、兵庫区南部、須磨区の一部。昭和20年(1945)5月1日 廃止。
注.2 神戸市にかつて存在した区。現在の中央区東部。昭和55年(1980)廃止。



2003/08/04 追記
2003年8月2日。S様より以下の様な話をお聞きした。

大輪田橋の下に戦時中の防空壕?みたいなものがあるって聞いて見に行ったことがあるんですよ。
入口はトタン板みたいなもので塞がれてて入れなかったんですが、隙間から中を覗くと木の松葉杖がひとつ転がってて、それがすごく印象でした。



2022/06/29 加筆再編集。



本ページはフレーム構成となっております。
左端にメニューが表示されていない場合はこちらからどうぞ。