ボウリング場と慰霊碑

ボウリング場の裏に慰霊碑らしきものは見当たらない
私の知っている範囲で、幽霊が出るというボウリング場が兵庫県内に2箇所ある。
ひとつは廃墟となったボウリング場で、ひとつは現役のボウリング場。
廃墟となったボウリング場の方は以前(営業していた頃)から幽霊が出るという話があったのか、廃墟となってからそのような話がささやかれるようになったのかは定かではないが、現在営業中のボウリング場の方は幽霊の噂とは無縁と思われるほど明るくて綺麗な所である。ここの何処に、どんな幽霊が出るというのだろうかと疑問にさえ思うほどである。
しかし、以前は至るところ草ぼうぼうで、駐車場も建物も全体的に陰気な雰囲気に包まれていたという話も耳にした。

ボウリング場は3階建ての建物の3階部分にあり、1階にはカフェが入っている。2階部分はかつて卓球台やエアホッケーが置かれていたが現在は閉鎖されている。1階は特にそれらしい話は無いらしいが、上の階に行くほど(とはいえ全部で3階なのだが…)幽霊がよく出るらしく、3階のボウリング場によく出るのだという。
そしてボウリング場の裏には霊を鎮めるために巨大な慰霊碑が建っているという。

平成30年(2018)4月某日、所用で近くまで行く機会があったので現地を訪た。
訪れたのは平日の昼間だったのだが、1階にカフェがあることもあってか駐車場にはそこそこ車が停まっていた。
オカルトバカの私がヒトカラならぬ一人ボウリングと洒落込むはずもなく、ましてや所用の途中での寄り道ということもあり今回ボウリング場の中までは入れなかった。

ボウリング場の裏手にあるという巨大な慰霊碑の確認に行く。
実際のところカフェやボウリングに来た人は普通来ないであろう場所に行く訳だが、特に「関係者以外立入禁止」などといった看板なども無いので一応辺りの様子を伺いつつ建物の裏に行ってみる。
建物の真裏は鬱蒼とした一面の竹藪で、その奥に雑木林が広がっている。
出来る事なら地図や航空写真で見て頂くと一目瞭然なのだが、ボウリング場を囲むように雑木林が広がっており、恐らくはこの雑木林の一角を造成してボウリング場が建てられたのだと思われる。
竹藪は建物のすぐそばまで迫って来ているような状態で、言うまでも無く巨大な慰霊碑どころかお墓や供養塔らしきものも見当たらない。
ボウリング場の北西200メートル程の国道を隔てたところに墓地と地蔵堂が、ボウリング場の北100メートル程の所にも墓地が在るが、いずれの墓園内にも巨大な慰霊碑らしいものは見当たらない。また、ボウリング場の南西100メートル程の国道沿いに、軍人のお墓か神道のお墓(奥津城、奥都城)のような形をした「田中猨兒(注.1)翁之碑」がある。その形状からこれをお墓(=慰霊碑)と見誤ったのかとも推測するが、石碑の建っている場所は国道沿いであってボウリング場の裏ではない。

田中猨兒翁之碑 ボウリング場が建っている場所に過去に何かあったのだろうか。或いは、このボウリング場で過去に何か忌わしい出来事でもあったとでもいうのだろうか… 少し調べてみる事にした。

詳しい事は分からなかったが、先にも少し触れたように現在ボウリング場が建っている場所は雑木林だったようで、(真偽の程は別にして)心霊スポットにありがちな以前は墓地だったといったようなことも無いようだ。
ボウリング場がいつごろ造られたのかについては定かではないが、割と古くからあったようで、遡れる範囲で確認出来た一番古い名前は「Aボウル」という名前だった。その後「スーパーボウルS」となる。
その後、T社(当時、後にN社に社名変更)に買収され「TスーパーボウルS」となる(平成24年(2012)8月頃か?)。T社は農薬販売を主力業務とし、農薬販売で得た利益を元手にボウリング場の全国展開に着手していた。しかし、資金繰りが困難となり、平成26年(2014)3月24日、N社(T社の後身)は民事再生法を適用し破産。同年3月30日(5月6日ともいう)、TスーパーボウルSは閉店となる。
余談ながら、一部でT社は某新興宗教団体Sの関連企業であるという噂もあるが、私が確認した限りでは根も葉もない噂のようである。
その後、平成26年(2014)創設のA社がその年(平成26年)の12月20日に居抜きで「A(社名) Sボウリングセンター」としてリニューアルオープン。新しくなったA Sボウリングセンターは以前の様なアミューズメント施設という側面は無く、ボウリングに特化した造りとなっている。TスーパーボウルS時代に卓球台等が置かれていた2階が閉鎖されているのはそのためと思われる。

調べて出てきた話は、曰く因縁の類ではなく、買収や倒産といった随分と現実味のある“怖い話”だった…

ン十年後にはそんなこんなで話に尾鰭が付いて、「会社倒産で自殺した元オーナーが夜な夜なここに現れる云々」とかいった話が出来上がっているかも知れない。

注.1 横山峠(現 宅原交差点)の開削に貢献した人物。

※おことわり
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