瀬戸内海を眺める高台にその病院はある。
その病院の前身はサナトリウムと呼ばれる結核患者が長期滞在する療養所であった。 当時不治の病として恐れられていた結核の治療には環境の良い土地への転地療養が有効と考えられており、自然豊かで風光明媚、気候温暖なこの地に明治22年(1889)、結核治療の第一人者であった医師により我が国で最初の結核療養所として西洋建築のサナトリウムが開設された。これが後のS病院の前身となるS療養院であった。 (一説には、S療養院が開設されたのは明治21年(1888)で、日本で2番目に建設されたサナトリウムともいう)
かつて、現在使われている建物の奥に老朽化に伴い閉鎖された旧病棟の廃墟があった。 明治時代の西洋建築を知る上でも貴重な資料だった旧病棟だが、残念なことに老朽化が激しいことから近年解体され、現在新病棟建設工事に向けて更地となっている。
余談だが、明治28年(1895)、正岡子規も療養のためここの東隣に在ったS保養院にて一ヶ月ほど滞在していた事があり、近くのお寺にはこの時に子規が詠んだ「暁や白帆過ぎ行く蚊張の外」の句碑も建っている。
※おことわり
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