S 寺

S 寺
南北朝時代の城跡の麓にあるS寺では、たびたび武士の亡霊が見られているという。
永延2年(988)、摂津国神撫山は鹿松峠に現れた鬼人を平定せよとの勅命を受けた英雄丸(太政大臣藤原伊尹(これただ)の三男)が、ここに草庵を結び日夜修法を行い祈願退散したことに始まると言われる古刹である。
寺の裏山に在った城は『太平記』にその名が見受けられ、打出浜の戦い(観応の擾乱)で弟の足利直義に敗れた足利尊氏、高師直、高師泰らがここに籠城。覚悟を決めた尊氏は一堂に入り自害に及びかけたと伝え、山門の南西に「ハラキリ堂」と呼ばれる場所が在る。
この城で戦闘があったという記録は見られないが、この時、兵火にかかり寺の大半が焼失している。
武士の亡霊が現れるという話は、この「ハラキリ堂」という名前から起こったのでないかと推測するが真偽のほどは定かではない。

2018/03/12 加筆再編集。

※おことわり (2024/10/15 追記編集)
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