死の首 (地名)

鍋子坂
たつの市新宮町(旧 揖保郡新宮町)に「篠首」(しのくび)という地名がある。
この篠首という地名、かつては「死の首」という名であったという。

篠首集落の南に鍋子坂という峠がある。
戦国時代、この峠の頂上である武士が首を刎ねらた。その首は峠を転がり落ちて、峠の北にある集落まで転がっていった。以来、首が転がり落ちた場所を「死の首」と呼ぶようになった。
そして、峠の反対側にある集落は、難を逃れたという意味で「福栖」と呼ぶようになったという。
武士が首を刎ねられたという鍋子坂では、深夜ここを通ると突然目の前に巨大な人間の首が上から落ちてくるという話もある。

鍋子坂で武士が首を刎ねられたという話の真偽については定かではないが、篠首が元々は死の首であったという話は「シノクビ」という地名から発生した付会であると思われる。
篠首という地名は「篠縊」(しのくび)で、篠竹の多く生えた山間の細く縊(くび)れた土地という事から付けられた地名と考えられる。
篠首という地名は文政古図(文政年間:1818~1830)にも「篠首」とあり、古くからあったことがうかがえる。それに対し、「福栖」は明治時代初頭に周辺の(栗栖郷)金井、森本、萩尾、鍋子、清水の五つの小集落を合併し、佳名の「福」と栗栖の「栖」を合わせて「福栖」としたものであり、福栖の名が生まれたのは鍋子坂で武士云々の話よりも300年も後のことである。

(画像は武士が首を刎ねられたという鍋子坂)






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