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兵庫運河と高松線が交差する北東の角、大型ショッピングモールのそばに「尻池街園」という1500平方メートルほどの緑地公園がある。街園とは道路、街路に生じたスペースを活用して設けられた広場や緑地等のことをいう。ここは神戸市によるまちづくりの一環として昭和46年(1971)に開設された。交差点(東尻池町8交差点)の付け替えで以前道路であった用地を街園にしたものと思われる。
園内には遊具や休憩スペース、トイレが設けられ、南側の入口の側には飛鳥時代の官人で歌人であった高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の「いざ子ども 大和へ早く 白菅の 真野の榛原 手折りて行かむ」の万葉歌碑がある(平成22年(2010)3月、市内の万葉集研究グループ「万葉三金会」と同地区まちづくり推進会の有志らが建立)。桜の季節にはソメイヨシノやサトザクラが満開となり、人々の目を楽しませている。
夜、ここに悲しそうに俯(うつむ)いた少女の幽霊が出るという。
昭和30年代の終わり頃のこの辺りは退廃化が酷かったらしく、「東北大学教育学部研究年報 第34集(1986年) 都市の住民運動と住民組織 -神戸市長田区真野地区の「まちづくり」運動- 今野裕昭 著」、「インナーシティのコミュニティ形成: 神戸市真野住民のまちづくり」( 2001年、今野裕昭 著、現代社会学叢書 刊)によると、「(昭和)30年代の終わりには、地区の東南、現在の尻池街園のところに、まだ33世帯の不法占拠バラックがたち並び、地区外の者が夜車でゴミをほかしに(捨てに)来たり、何ヶ所かで養豚をやっていたりで、緑がなく、道路も未舗装でゴミだらけ、雨が降るとと水が道路を流れ長屋にも流れ込む、外燈もなく、空地もけっこう多く、冬でも蚊や蠅が多い状況だったというから、これに町工場の公害が加わり、スラム一歩手前の状況を呈していたといえる。」とある。 すぐ側には幹線道(高松線)が通っており、周辺には工場、運送会社などもあることから夜でも交通量も多く、商業施設やガソリンスタンドなどの照明や街灯が煌々と点き、公園内にも照明がある。夜に公園で女性が一人でいたとしても強ち有り得ない事でもないように思える。詳しい状況が分からないので何とも言えないが、生きている人間を誤認した可能性も有るのではないかとも思う。 |