随分前に城の宮(じょうのみや)の踏切に幽霊が出るという話を聞いたことがあった。
その時に聞いた話では、城の宮の踏切に幽霊が出るそうだよというだけで、教えてくれた人もそれ以上のことは知らないということだった。
「城の宮」とは、加古川市平岡町山之上、同町土山、播磨町野添城周辺の地名で、城の宮交差点、城の宮住宅、城の宮団地、城の宮公園、城の宮バス停など至る所にその名前が見受けられる。ただ、通称地名のようで現行の行政地名はもとより平岡町の大字、播磨町の大字にも「城の宮」の名は見られない。
「勝負」という地名は日本全国にあり、兵庫県内だと「勝負下踏切」のある「加古川市平岡町土山字勝負」以外に、地名ではありませんが、神戸市兵庫区楠谷町に楠木正成終焉の地と言われる「楠谷勝負ヶ池跡」があります。
一番多い勝負地名の起源と思われるものとしては産鉄地名説があり、鉄の意である「そぶ」が「そうぶ」或いは「そうず」になり、更に「しょうぶ」に転訛して「勝負」の字が当てられたと言われています。岡山県内には「菖蒲」の字が当てられたものが最も多く、次いで「勝負」が各地にあります。
参考までに書かせて頂くと、 岡山県倉敷市真備町には「勝負砂(しょうぶざこ)古墳」という5世紀後半に築造された全長42mの前方
後円墳があります。この「勝負砂」という名前は、「小さな谷」を意味するとも(「岡山おもしろ地名考」)、古墳の周辺で合戦があったとか、古墳の上で相撲があったから(「勝負砂古墳Q&A」)とも言われています。
武田軍と今川軍が合戦した静岡県富士市の「しょうぶが窪(くぼ)」、南北朝時代、北条時行と足利直義が戦った井出の沢合戦で侍大将が一騎打ちをした神奈川県町田市の「勝負ヶ谷戸(しょうぶがやと)」、佐賀県武雄市の戸坂峠の戦の古戦場とされる「勝負谷」等は古戦場に由来するものといわれています。
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