高取山の北、苅藻川の谷と妙法寺川の谷を結ぶ鞍部は古くからの往来で、鹿松(かのししまつ)峠と呼ばれていた。
『源平盛衰記 巻三十六』の「清章鹿を射る、並びに義経鵯越に赴く」によると、源平一ノ谷の合戦の前夜に当たる、2月6日(旧暦)のこと、能登守平教経(清盛の甥)がこの辺りに布陣していたところ、山から三頭の鹿が飛び出して来た。そこで、教経の命により、高市武者所清章(たけちむしゃどころ きよあきら / きよのり)がその鹿のうち二頭を射止めた。しかし、戦の場で鹿の肉を食べることを憚り、また、近くに稲村明神(注.1)がお座(わ)すことから、松の木の根元にこの鹿を棄て置いた。 このことから、この辺りは鹿松(かのしし)村と呼ばれるようになり、そこにある峠なので鹿松峠と呼ばれるようになったという。 今も「鹿松町」(しかまつちょう)として町の名前に伝えられている。 (「肉」を訓読では「しし」といい、古くは、鹿の肉を「鹿の肉=かのしし」、猪の肉を「猪の肉=いのしし」といっていた。)
この鹿松峠の側に獅子ヶ池という大きな池がある。獅子ヶ池という名前は、「鹿松」(かのししまつ)の「しし」に「獅子」の字を宛てたと考えられる。 2000年代初頭までは池の周辺は不法投棄された廃車やゴミが散乱、荒れ放題であったが、現在は行政と地域の方々による「獅子ヶ池里山整備活動」により、緑あふれる憩いの場として整備されている。
注.1 『源平盛衰記』には「稲村明神」とあるが、付近に稲村明神と言う神社は見当たらない。高取神社のことだろうか。
注.2 兵庫県「ため池データベース」より
注.3 「全国農業用ため池マップ」より
| ||||||||||||||||||||