高坂トンネル

多可町加美区と神河町を分かつ高坂峠の真下を高坂トンネルが貫くように走っている。多可町側の坑門の側には、当時の兵庫県知事の貝原俊民氏の書による「高坂トンネル開通記念碑」が建っている。
旧道は古くより交通の要衝であったようで、高坂峠には天保5年(1834)3月の銘がある子安地蔵(注.1)がある。また、「為無縁仏供養」(昭和63年6月 建立)と刻まれた一石五輪塔の形をした供養塔があり、峠越えで行き倒れとなった旅人の供養のために立てられものと思われる。
高坂トンネルが開通する以前は、この高坂峠を越える曲がりくねった狭い山道を通って行かなければいけなかった。そのため、事故も多く、崖から車が転落する死亡事故も何度か発生しているという。
峠越えで行き倒れになった旅人や、事故で亡くなった人々の無念の思いは未だこの地を彷徨っているといい、吸い寄せられるように高坂トンネルに集まって来るのだという。車でこのトンネルを通ると、誰もいないはずの後部座席に人(幽霊)が乗っている事があるという。

余談だが、高坂峠から多可町側に行くと「松か井の水」と呼ばれる湧き水がある。室町時代に播磨の守護大名赤松義村が定めた「播磨十水」のひとつと伝えられている。峠越えの旅人が生き倒れとなった時、この水を飲んで回復したとの言い伝えがある。
松か井の水へ行くには狭い旧道を行かなければいけない事から、平成13年(2001)、高坂トンネル工事の際に発見された湧き水をトンネル東側坑門から少し下った場所まで引き込み「新松か井の水公園」として整備した。(「松か井の水」と「新松か井の水」は水質は同じだが、水源は異なる。)
高坂峠から神河町側に少し行くと、山の中に多可町のHという銃砲火薬などの火薬の製造を行う会社の火薬庫(火薬工場とも)が存在し、航空写真で見ると周囲を土塁で囲まれた建物の姿がうかがえる。

参考データ
路線名兵庫県道8号 加美宍粟線
延 長870.0m
幅 員6.5m
高 さ4.5m
竣 工昭和62年(1987)
施 工大林組・アイサワ工業・中村建設 特別共同企業体

注.1 蓮華座の下の方には「施主人 的場村 まち かな くに きよ」と四人の女性と思われる名前が刻まれている。的場村は現在の多可郡多可町加美区的場のことと思われる。






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