立岡山

立岡山に鎮座する天満宮
立岡山は、兵庫県揖保郡太子町の中心部に位置する104mの単山である。
何を以ってして最恐スポットと言われるのか定かではないが、兵庫でも有数の心霊スポットといわれている。

立岡山の歴史は古く、 『播磨国風土記』の「御立の阜」(みたちのおか)に比定されており、品太天皇(応神天皇)がこの山に登り、四方の地を眺め、国見をしたことから名づけられたとされている。
大和朝廷時代には、この地に阿宗親王を祭る阿宗神社の前身、北の宮(一の宮)岡ノ峯八幡が祀られていた。後の文治5年(1190)正月、岡ノ峯八幡は内山城主塩津左衛門尉義経が自らの所領である広山村(揖東郡広山村、現 たつの市誉田町広山)に遷座させた。
現在、岡ノ峯八幡跡地には天満宮が祀られている。
弘安2年(1279)七月には、越前島津氏二代目従五位下島津左衛門大夫忠行が下揖保庄、布施郷(兵庫県龍野市及び揖保郡揖保川町、現 たつの市)の地頭職に補任され、ここの山頂に石蜘(いしぐも)城を築城。
天正3年(1575)、十五代目島津左近将監忠行まで播磨島津氏の居城であった。

これまでに何度と無くここで自殺があったといい、人魂や火の玉がよく目撃されるという。
また、ここで高校生のリンチ殺人事件があったという話も耳にしたが生憎事実確認には到らなかった。


2017/11/29 追記
本稿文末に、ここで高校生のリンチ殺人があったようだとの記述について、2017年9月27日、M様より高校生のリンチ殺人ではなく金銭トラブルを巡る(成人同士の)リンチ殺人であるとの情報をお寄せ頂いた。
M様のご了承を得て、以下にお寄せ頂いた話を原文のまま掲載させて頂く。

(前略)
事件の詳細は以下の通りです。
昭和58年(1983)のGW前。
私の同級生のAは部活のトレーニングで同輩と共に立岡山の頂上まで登っていました。
ところが頂上手前でサングラスを掛けたガラの悪い男性に呼び止められ引き返すよう言われたそうです。
A達はひとりの男性が複数の男性から暴行を受けていたのが見えました。
ただ事ではないとすぐに山を下り顧問の先生に事の顛末を話し警察に連絡。
警察が向かった頃には犯人は逃走し、被害者の姿もなかったそうです。
そしてGWになり私がラジオを聴いていると姫路市に流れる市川でジョギング中の警察官が男性の変死体を発見したというニュースでした。
警察官が第一発見者というサスペンスじみた事件だったので印象深く残っています。
この変死体が暴行をうけていた被害者だということと結びつき、容疑者が特定され目撃者のA達の証言で1週間という早さで解決しました。
被害者の男性は容疑者達と金銭的トラブルから事件に至ったそうです。

M様よりお寄せ頂いた話をもとに私が調べて得たわずかな情報を補記させて頂くと、この時暴行に加わった加害者は三人で、そのうちの一人はこの立岡山の近くにあるアパートの住人だったという。



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