兵庫県某所に鎮座するこの神社は日本最古の厄除けの霊地と伝えられ、祭礼の時には各地から多くの参拝者が訪れ交通規制が行われるほどである。
私の知る限り今はその様な話は聞かないが、今から50年ほど前(1960~1970頃?)には、この神社の森で丑の刻参りが行われていたといい、深夜に白い着物を着た女性が目撃されたこともあったらしい。
また、ここで写真を撮ったところ幾つもの顔が写っていたという話もある。
付近では怪奇現象の噂もある。
その昔、疫病が大流行したことがあり(注.1)、その疫病で亡くなった人たちがこの神社の東の人里離れた谷に集められた。死者のあまりの多さに荼毘に付すこともままならず、死体はそのままこの谷に積み上げられていたという。
その場所は、神社の東方、現在市の施設のある場所がそうだという。
神社から1キロメートルほど離れた場所には、「渋人谷」、「地獄谷」などの地名が残されている。「渋人」(しぶと)は「死人」(しびと)の意であり、これらの場所も死体置き場であったのではないかと思われる。
2020/10/13 加筆再編集。
注.1 神社創建の由来に、「神護景雲4年(770)6月に疫病が大流行し、それを鎮めるために五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われまた。 」との記述がある。
※おことわり (2024/10/15 追記)
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