具平塚

具平塚
兵庫県加古川市野口町、別府川にかかる良野橋を渡ってすぐの所に畑があり、その少し奥の空地の中に小さな丘がある。
この丘は俗に「王塚」と呼ばれ、第62代村上天皇の第七皇子、具平(ともひら)親王(応和4年(964)~寛弘6年(1009))の陵墓と言われている。
具平親王は卓越した文人として知られ、また、詩歌管弦を始め書道、陰陽道、医術にも通じていたといわれる。
親王の嫡男、資定王(臣籍降下して源師房)の子孫は村上源氏として院政期に勢力を拡大した。鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した守護大名、赤松則村(入道円心)は師房の子孫と伝える。

地誌『播磨鑑』には「具平塚、在坂元村ト平野村ノ間、大道ノ南一段高キ土地、村上天皇ノ皇子具平親王ノ陵也、世人是ヲ朱見塚ト云」と記されている。
この塚は触ると祟りがあるといって土地の人達は草も刈らないという。

以前私がこの塚を訪れた時、ここが具平親王の陵墓だということも祟りの話も知らず、墳丘に登る細い道がついていたので登りかけたことがあった。特別に祟りは無かったが、知らなかったとはいえ今思えばずいぶんと罰当たりな事をしたものだと思う。






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