赤灯台

赤灯台
須磨の海水浴場の西の外れ、松林の中に赤い灯台が建っている。
夜になるとこの灯台の下あたりにぼんやりとした白い人影が現れる事があるという。
須磨の海岸周辺は事故、自殺、他殺などの遺体の発見がよくある。また、古くは昭和20年(1945)の神戸大空襲ではこの辺りは遺体の安置所となり、おびただしい数の遺体が海岸を埋め尽くしたという。
これらの浮ばれぬ魂が灯台の灯りに導かれて現れるのかも知れない。

参考までに書くと、赤灯台の愛称で親しまれているこの灯台は正式には「旧和田岬灯台」と言う。
慶応3年(1867)4月に幕府が英国との間に結んだ大坂約定(大坂条約)により5ヶ所の灯台を整備することが定められた。
これらの5基の灯台のひとつとして兵庫開港前の明治4年(1871)に和田岬に設置された洋式の木造灯台がこの和田岬灯台の始まりで、明治17年(1884)にその後を継いで建て替えられた鉄製灯台が今に残るこの灯台である。
設計は「日本の灯台の父」と称されるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton , 1841 - 1901)によるもので、高さ15.76メートルの三階建て。
昭和38年(1963)、和田岬の海岸埋立により廃灯となったため現在の須磨海浜公園内に移築し保存されることとなった。
本灯台は現存する日本最古の鉄製灯台で、平成10年(1998)「旧和田岬灯台」の名称で国の登録有形文化財に登録された。


2010/07/02 追記
現在も経営されている施設の話なので書くことを控えていたのだが、何れも怖い話(噂)として広く流布してる話なので敢えて書くことにした。

本文中にも書いたが、この辺りは神戸大空襲で亡くなった方々の遺体が安置されていた所という事もあってか、近隣に在る病院やラブホテルには幽霊が出るという噂がある。ただ、飽く迄噂であって私自身がそれらの事実確認をしたわけではないことをここにお断りしておく。
また、この界隈では(古典的だが)タクシーが幽霊を乗せたという話もわりとあると聞いた。

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