真説 ユネスコ会館 【後編】

在りし日のユネスコ会館 それでは、本当はユネスコとは如何なる建物だったのだろうか。
ここではその辺りについて書いていきたいと思っている。

兵庫県連合婦人会長(当時)の広瀬勝代さんが、環境の良いこの芦屋の地にユネスコ活動の拠点を造りたいという願いに、アメリカの社会事業家エリザベス・H・ローズ夫人がこの活動に共鳴、来日の機に会館建設資金の一部にと5万ドルを広瀬さんに寄託。そこに、芦屋市の芦有開発会社が会館建設用地として約3300平方メートルの用地の提供を申し出た事により、会館建設委員会が発足。
この運動が短期間のうちに民間にまで広まり、多数の浄財を戴き、東京オリンピックの開催された年、昭和39年(1964)、兵庫県連合婦人会設立20周年を翌年に控え、それらの記念事業として竣工された。
鉄筋2階建て、地下1階、床面積1010平方メートル。ホール、会議室、宿泊施設等を備えていた。
当時の記録によると、食事の世話から事務処理までをすべてボランティア活動によって支えられている特徴的な運営方法で、外国人留学生やユネスコ関係者が多数利用し、往時は年間1万人余の利用者が有り、我が国でのユネスコ活動のメッカとして国際交流と親善に大いに貢献していた。

今更言うまでもないが、ユネスコは精神病院でもなければ宗教施設でもないのである。

昭和63年(1988)、経営難からユネスコ会館を運営していた財団法人兵庫県ユネスコ会館(現在は解散)は企業研修を請け負う東京の民間会社に同会館を3億2千万円で売却した。同会館を買い取った民間会社は、同会館を企業の社員研修用の施設にする予定だったが、折からのバブル崩壊で計画は頓挫し、これにより閉鎖されたまま放置されたユネスコは廃墟への道を着実に歩み出すこととなった。
ここで、思い出されるのが、昭和62年(1987)という年である。
奇しくも財団が同会館を手放す前年なのである。つまり、昭和62年(1987)という年は、件の「集団焼身自殺」が有ったと言われる年なのだ。恐らくは、ユネスコの閉鎖と集団自殺を関連付けたのだと思われる。

後の平成5年(1993)頃、不審火によりユネスコは焼失した。
以前にも火の不始末による火事はあったようだが、この時の火災の原因は放火であったといわれる。前述の大学のサークルがここのボイラー室を物置として利用していたらしく、そこにDQNやヤンキーと呼ばれる連中が火を点けと言われている。
lこの火災の詳細は不明であるが、平成5年に不審火によりユネスコが焼失したのは紛れもない事実であり、火災の痕跡は(ボイラー室での)焼身自殺で燃えていたのではない事が解って戴けると思う。
更に、翌平成7年(1994)、阪神大震災が起こる。
これにより、ユネスコを管理していた件の民間会社が売却を予定していた取引先から、取引中止の申し入れがあり、そのまま無残な姿のまま放置されることとなった。

しかし、皮肉にもこれらの事情により、殊更のように廃墟の雰囲気に磨きを掛けてしまったユネスコは、ますます心霊スポットとして一人歩きを始め、週末の夜ともなれば県外からも多くの若者達が見物(肝試し)にここを訪れ、あたかも一大観光地の様相を呈していた。
深夜の車の騒音、大声での話し声、ゴミのポイ捨て、タバコなどの火の不始末、すぐ傍には閑静な住宅街があることから、連日のこの騒ぎに地域住民は困惑。
そして、遂に平成12年(2000)9月、地域住民の訴えにより芦屋市の市議会議員がユネスコの現状を視察。何らかの対策が懸念される中、芦屋市の市議会議員の汚職が発覚。
もはやユネスコどころではなくなった…

ようやく平成13年(2001)3月になり、地元自治会よりの要望を受けた芦屋市の指導のもと、民間会社は同会館の2階部分を撤去し、1階の入口や窓を鉄板等で塞ぐという対処をしたが、それらはすぐに破られてしまった。
更に、昨年(2003)の6月には、民間会社より芦屋市へ(同会館の)寄付の申し出があったが、芦屋市がこの申し出を断った事から話は宙に浮いたままとなっている。
そして、今では土台部分と地下を残すのみとなっている。
それでも、残された地下部分を訪れる連中は今も後を絶たないということこそ、むしろ不思議な話なのかも知れない。

H16/01/07 加筆再編集



2011/01/01 追記
平成16年(2004)4月、芦屋市は旧ユネスコ会館に続く市道約100mの供用を廃止し、これを住民名義の私道に変更。道の入口も高さ2m程のフェンスで封鎖し、その周囲には有刺鉄線を3重に張り不法侵入の防止に努めた。
更に、市の仲介により県六甲治山事務所が資材置き場として敷地を借りる交渉に入ったほか、芦屋署もパトロール強化の方針を打ち出していた。

しかし、同年6月11日には肝試しに来た大阪府内の男子大学生二人(21)と無職女性二人の四人がフェンスを乗り越え侵入、半時間後に戻ってきたところを近くの住民の通報を受け駆け付けた芦屋署員が発見。
四人は軽犯罪法(立ち入りの禁止)違反容疑で書類送検されるという事も起こっている。

平成18年(2006)10月、近隣住人からの強い要請を受けた芦屋市はようやく規制を緩和、これにより現在の廃墟を解体整地することが可能とり工事に着手。

その後、跡地は個人に売却され、平成22年(2010)現在住宅が建設中である。



写真提供
在りし日のユネスコ会館 : Nightmare 様
地下ボイラー室 : 匿名希望 B 様



ユネスコ会館の画像はこちら(外部リンク)
【 Ruins 】 ⇒ユネスコ会館





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