兵庫県のある田舎町、田圃の山裾に社務所に隠れるようにしてその祠はあった。
建立年代は詳らかではないが、『明細帳』には「承応二年(1653)七月吉日の棟札有」との記載がある。
祭神は素盞嗚命の子、豊受比賣神(=倉稲御魂命)で、穀類の神である事から付近二十数戸の稲作の神として崇められてきたのであろう。
また、一説には古くからこの土地に居られた神を祀ったものだという話も聞いたが定かではない。
この祠の周辺は土地に古くからいる霊や動物霊が多くいるといわれ、感じる人にはわかるという話だ。
また、かなり以前の話らしいが、この祠の前に生首が置かれていた(現れた)という話もあったそうだ。
この付近で遺産相続を巡るトラブルで一家が惨殺されるという事件があった事は事実らしいが、それと生首とを結びつける事は些か飛躍しすぎであろう。生首が見えたのならば、まさに怪奇現象だったのかも知れない。
※おことわり (2024/10/15 追記編集)
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