横尾隧道
(横尾トンネル・五色トンネル)

横尾トンネル
かつて、淡路島の洲本市(中川原町市原)と五色町(鮎原塔下)の境界を貫く淡路島最長のトンネルが在った。
横尾トンネル、明治30年(1897)完成、全長180メートル、幅員4メートル(開通時 幅員2.5メートル)、高さ4.3メートル。トンネルのほぼ中央が洲本市と五色町の境界にあたる。一部では、旧五色トンネル、五色トンネルという名前でも呼ばれている。
明治25年(1892)、初代鲇原村(津名郡鮎原村、現 五色町鮎原)村長、高津雅雄氏が同村出身の自業家、百山磯太氏の協力を得て鮎原村から横尾峠を越えて洲本市へ出る兵庫県道46号洲本五色線と共に5年の歳月をかけて完成させた。(注.1)
開通当初、トンネルの幅員は2.5メートルの煉瓦隧道であったが、昭和35年(1960)に兵庫県洲本土木出張所(現 洲本土木事務所)が総エ費1800万円をかけ、バスが通行できるように今の様なコンクリート製のトンネルに拡幅改修した。
平成2年(1990)、トンネル南側の山を切り開き横尾トンネルバイパスが開通したことに伴い、横尾トンネルは閉鎖された。
余談だが、現在淡路島に存在するトンネルの中では、平成10年(1998)に完成した仁井トンネルの全長429メートルが最長となっている。

横尾トンネルがまだ現役の頃、ここでは原因不明の交通事故が多発し何人もの人が亡くなっているという。また付近では自殺も多発したといわれ、当時から「淡路島最恐の心霊スポット」として知られていた。また、有名な話として、老婆の幽霊が物を売っているという話がある。何故、ここで老婆の幽霊が物を売っているのかについて調べてみたが何ら手掛かりとなる様な話は得られなかった。生前、行商を生業とされていたのであろうか。
その他にも、深夜トンネルを通っていると奥の方から女性の声が聞こえた、トンネルの中には誰もいなかったはずなのに、バックミラーを見るとトンネルの真ん中を親子と思しき人影が歩いていた、フロントガラスに血の手形が付いていた、トンネルを出た途端無数の恐ろしい形相をした顔が車にぶつかってきた、 霧の深い夜に宙に浮いた白い女の人とすれ違ったといった話などがある。

現役時代の話なのか閉鎖されてからの話なのかは分からないが、このトンネルは異世界へと繋がっているという話があり、入ったまま中で彷徨い続けて永遠に出られなくなるとか、行方不明になったという噂もある。

何時頃の話なのか定かではないが、その昔、心霊関係のテレビ番組で取り上げられた事があったらしく、霊能力者が祈祷?を行い、トンネルの五色町側、洲本市側の両方の坑門(トンネルの出入口)に御札を貼って行ったという。令和2年(2020)2月下旬に訪れた時には、それらしい痕跡さえ見付けることは出来なかった。
場所も年代も判然としないが、トンネルの手前に廃屋があり、昭和50年(1975)~昭和60年(1985)頃?ここで一家惨殺があり、犯人は未だに逮捕されていないという噂がある(一家心中ともいう)。廃屋の傍にはカーブミラーがあり(未確認)、亡くなった親子三人の姿が映るという。
例によって本件について色々と事実確認をしてみたが、何ら証明となるような物は得られなかった。一家惨殺が事実であったとしたら、比較的近年の事件であり、そのショッキングな内容からも新聞記事等何らかの形で残っていると思うのだが…

後で知ったことだが、件の廃屋は数年前に解体され現存しないということである。

参考データ
路線名旧 兵庫県道46号 洲本五色線
延 長180.0m
幅 員2.5m(開通時) / 4.0m(昭和35年(1960)拡幅改修)
高 さ4.3m
着 工明治25年(1892)
竣 工明治30年(1897)
覆 工煉瓦(開通時) / コンクリート(昭和35年(1960)拡幅改修)
廃 止平成2年(1990)

注.1 河上神社(洲本市五色町鮎原南谷592)の境内には高津氏のブロンズの胸像と顕彰碑が建てられている。






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