ぜんそくセンター
(ぜんそく病院)

ぜんそくセンター
『ぜんそくセンター』
名前からしてインパクトのあるスポットである。
噂では、(閉鎖されているのに)夜、子供が窓から外を覗いている、インターホンを押す(鳴らす)と「はい」と中から返事が返ってくるといった話、侵入すると必ずぜんそくになってしまうといった話、果ては四つん這いの老婆に追いかけられたという何処かで聞いたことのある都市伝説の様な噂まで、奇怪な噂のある廃施設である。
一般には「ぜんそく病院」という名前の方が知られているかも知れない。
正確には『(財)日本××協会 ××ぜんそくセンター』が正式な名称のようである。
病院というよりは療養所といった感じで、恐らくは、ぜんそくの療養のために都市部よりも空気のよい六甲の山麓に建てられたものと思われる。

六甲山麓に「ぜんそく病院」なる廃墟があることは数年前から知っていた。しかし、情報に乏しく、これまでに何度となくそれらしい場所を探してみたり、心強いパートナーとなったS様に協力してもらい、近隣にある病院が現在も経営しているかを確認してもらったりもしてみたが、手掛かりは全く得られなかった。

姫路方面に遠征した或る日、予定より早く終わったので再びぜんそく病院を探す事になった。
以前より見当をつけている場所を何度となく車で走りながら探すのだが、一向にそれらしい廃墟は見えない。
そんな時、S様が「あれじゃないですか?」と指差す建物があった。道から少し奥まった所、広めの駐車場の奥に鉄筋コンクリート製とおぼしき建物がる。「果してこれなのか?」取敢えず、道に迷ってUターンをするふりをして車を乗り入れてみる。
しかし、そこは近傍の施設に付随する建物であって、勿論今も普通に使われている建物だった。
「ん… 残念。一体どこにあるんだろう?」いくらかの焦燥感を感じつつ、車をUターンさせメインの車道に出ようとしたした時の事である。
道を挟んだ向かい、草の生い茂る未舗装の狭い道の奥に、小じんまりとした2階建ての診療所のような建物が私の目に飛び込んできた。「これだ!間違いない!」根拠は無かったが、不思議と確信はあった。
早速車を近づけ、正門に近づいてゆく。『(財)日本○○協会 ○○ぜんそくセンター』、確かに探し求めていたぜんそくセンターである。
建物の周囲は雑草が生い茂り、全体には蔦が絡まり、硬く閉じられた正門は赤茶色に錆びていた。
非常に分り難い立地条件が幸いしたのであろう、よくある廃墟系スポットのそれとは違い、窓ガラス一つ割られてはいなかった。
草を掻き分け、建物の横方向にまわってみる。すると、そこは20畳(?)ほどのスペースに、テーブルだけがひとつ置かれているだけの部屋だった。丁度、保育園か幼稚園の教室といった感じのスペースだった。
しかし、そこには当然のごとくホコリがつもり、かなりの時間の経過を感じさせた。
確認は出来ていないのだが、聞いた話だと、ここの2階部分は、何部屋かの宿泊用と思われる部屋があるそうで、おそらくは、治療のための長期滞在に備えてかと思われる。
なるほど、以前聞いていた「病院と幼稚園と旅館をたして3で割ったような建物」という言葉の意味が解ったような気がした。病院というよりは療養所なのだろう。
中には医療器具や薬品の類もそのまま放置されていると聞いた。
普通、正規の手順をとって廃院にしたのなら、これらの器具や薬品は回収もしくは廃棄されると思うのだが、どういった事情があった手付かずで残っている。
いささか表現が不適当だが、その様子はまるで「夜逃げ」のようだった。

気になったので、少し調べてみると…
この(財)日本○○協会は現在も活動を行っている。東京に本部があり、関西では大阪府に関西支部があるのみである。ここの名前は見当たらなかった。

余談になるが、東京の某市にも『喘息谷(ぜんそくだに)』と噂される町がある。
そこに住むとぜんそくになるという話だ。勿論、誰もおおっぴらには口にしないがそう呼んでいるそうだ。
なんでも、ここは谷間の低地にあり、塵芥や花粉が澱みやすい地形になっているそうで、立地条件も決してよいとはとはいえないらしい。

※おことわり
施設名、所在地、人物、団体等の名称及び画像等については公開できことないことをご了承ください。



2019/04/02 追記
平成20年(2008)2月頃に解体された。

ぜんそくセンターの画像はこちら(外部リンク)
【 Ruins 】 ⇒ぜんそくセンター





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