ご投稿 : Nightmare 様
英国より神戸六甲山に移住したグラバー商会の出張員であった居留英国人アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom , 1846 - 1918)は、私費を投じて六甲山の植林や登山道整備を行い、当時の兵庫県知事、服部一三などに砂防や植林の必要を説き、「六甲山村長」と呼ばれるようになっていた。 また、明治36年(1903)には日本で最初のゴルフ場(神戸ゴルフ倶楽部)を六甲山に造ったことでも知られている。
明治45年(1912)、彼の偉業を称え有馬郡有野村の河原市太郎村長の発起により「六甲開祖之碑」が建てられた。題字は服部一三知事が執筆。裏には有馬郡長、有留清による碑文が刻まれていた。
ところが、第二次世界大戦が勃発すると、昭和17年(1942)、「敵国人の碑とはけしからん」との理由でこの「六甲開祖之碑」は取り壊された。 |