鬼畜米英

―Nightmare様からのご投稿―




英国より神戸六甲山に移住したグラバー商会の出張員であった居留英国人アーサー・ヘスケス・グルームは、私費を投じて六甲山の植林や登山道整備を行い、当時の兵庫県知事、服部一三などに砂防や植林の必要を説き、「六甲山村長」と呼ばれるようになっていた。 また、明治三十六年(1903)には日本で最初のゴルフ場(神戸ゴルフ倶楽部)を六甲山に造ったことでも知られている。

明治四十五年(1912)、彼の偉業を称え有馬郡有野村の河原市太郎村長の発起により「六甲開祖之碑」が建てられた。題字は服部一三知事が執筆。裏には有馬郡長、有留清による碑文が刻まれていた。
「記念碑台」の名前はこれに由来している。

第二次世界大戦の勃発により、昭和十七年(1942)、「敵国人の碑とはけしからん」との理由で取り壊された。
後の昭和三十年(1955)、兵庫県観光連盟、兵庫県国際観光協会、神戸商工会議所、神戸新聞、六甲山自治会の発起により「六甲山の碑」としてに再建された。碑文は当時の兵庫県知事、阪本勝知事が執筆。併せて、グルームの胸像も建てられた。






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