天野病院
―後 編―

唯一残る土塀の残骸 さて、いよいよ現地を訪れた訳だが、事前に下調べをするも、有名スポットの割にはその所在が明確では無いのだ。否、もしかすると有名すぎて今更書かなくても、徳島では「天野病院」で通じるのかも知れない。
そして、ようやく得た情報は「K町のK小学校の裏」という情報だった。
しかし、神戸から徳島の片田舎を訪れた私にしてみれば、それこそ右も左も分らない。
西に傾く太陽を気にしながら、K町を行ったり来たりして、ようやくK小学校を見つけた。

そこからがまた大変だった…K小学校の裏は山になっており、その界隈で車で走れる限りの道を走ってみるが、それらしい雰囲気の場所は無い。
車を停め、歩きで地当たりをすることにする。
しかし、尋ねようにも誰も人が居ないのだ。仕方なく、適当に山の方を上ってゆくと、行き止まりに大きな家があり、その庭先で高校生の男の子が二人話をしていた。
だめでもともとという気持ちで尋ねると、件の高校生は少し不思議そうな顔で(恐らく、何をしに行くんだろうと思っていたのだろうと思う)すぐそこの今工事中になってる道を入ったとこです。と教えてくれた。
早速、教えてもらった通りに進んで行く。車一台がやっとというような細い道を進むと、墓地が有り、廃屋が2件ほどあった。そして一軒だけある民家を越えた途端、周囲の様相は一変する。山肌が剥き出しになり、木々が鬱蒼と生い茂り、道の反対側(崖側)は竹薮が鬱蒼と茂り、風に吹かれパキパキと不気味な音を立てている。また、所々に湧き水のようなものもあり、何とも言えない湿った空気が漂う。
崩れかけの土塀が僅かに残り、その正面辺りに如何にも植えられていたと思われるバナナの木が数本立ち枯れていた。
さらに進むが、一向に病院の跡らしきものは見当たらない。
仕方なく、墓地への道をはじめ、枝分かれした獣道のような道を片っ端から歩いてみるが何の収穫も無い。
そして、よく見ると、件の竹薮の中に人が踏み締めた道の跡がある。覆い被さる枯れた竹を掻き分け、進んでゆくと、フェンスがあり、大きく破られている。道はさらに奥へと続いていた…
これまでの経験上、この破られたフェンスを見ても、おそらくこの辺りかなとは思ったが、とても建物が建っていたと思われるほど土地の面積は無い。

徒労に終わったか…
諦めて来た道を戻り、車の方に歩いていた時、散歩中に休憩をしているご老人を見つけた。
見た感じ80代と思われるご老人、この人なら何かご存知かも知れない。そう思って「天野病院」の事を尋ねてみた。
すると、何と先ほど私が分け入った竹薮の辺り一帯がそうだったと教えてくれた。
そのご老人の話によると、どうやら、経営者が経営拡大を図り東京に出て行ったため、地元のこちらがおろそかになり、廃業に追い込まれたとの事だった。
廃業後も、建物は取り壊される事無く放置され、地元では「幽霊屋敷」と呼んでいたそうである。
その後、詳細な年代は不明だが病院本館が解体され、宿直のためのはなれだけが残されていたのだが、ここも、平成15年(2003)末葉頃までは在ったそうだが、今は解体され全くの更地となっている。
最後に、件のご老人は私に「(あの土地を)買うんか?(笑)」と聞かれたので、私は「いえいえ、そんなお金なんてありませんよ。ただ古い建物に興味があったもので(笑)」と答えると、ご老人に御礼を言って帰路についた。






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