高城町の廃屋 付 別郷廃寺

別郷廃寺跡
令和元年のお盆のある日、安城市の「一家惨殺の家」(現存せず)を再訪した。
その折、H.N.ひりひり様からお寄せいただいた情報(注.1)をもとに、同市内にあると言う心霊スポットに立ち寄る計画を立てた。
お寄せいただいた情報によると、安城市の高城町という所に二軒の廃屋があり、深夜その二軒の廃屋の間を生首が飛び交うということだった。ただ、残念なことにひりひり様も人から聞いた話ということで、詳しいことはご存じではなかった。
闇夜に首が宙を舞う姿を想像すると、妖怪ろくろ首(抜け首)が頭に浮かんでくる。

例によって事前に下調べをしたのだが、安城市内に「高城町」という場所は見当たらない。
似たような地名はないかと探すと「高木町」があることを確認。「高城」は「高木」のタイプミスで間違いないと思われる。
Googleストリートビューを使い高木町内にそれらしい廃屋はないかを探す。幸いなことに町内の主だった道はほぼ網羅されていた。
実際に歩くように一つ一つの道を確認して行くという作業がどれほど続いただろうか。残念ながらストリートビューではそれらしい廃屋は確認することが出来なかった。

経路の関係から「一家惨殺の家」を訪れる前に高木町に入る。
町の隅から隅まで隈無く走るがそれらしい廃屋は見当たらない。何度か道行く人にそれとなく尋ねるも手掛かりは得られぬままだった。
尋ね歩いているうちに、廃屋ではないが廃寺なら近くにあると教えてもらい、ついでと言っては語弊があるが最後にその場所を訪ねることした。ただ、教えてくれた方の話では、廃寺と言っても建物(廃墟)が残っている訳ではなく説明板があるのみとのことだった。
場所は高木町の端から北に160メートルほどのところにある市杵嶋姫(いちきしまひめ)神社周辺がそうだという。
市指定史跡 別郷廃寺跡(昭和43年4月1日指定)は、7世紀第4四半期から8世紀はじめ(675年頃~720年頃:白鳳時代から奈良時代)の寺院とみられ、平成25年(2013)6月~7月に行われた個人住宅建設に伴う発掘調査により大量の布目瓦や、北野廃寺(愛知県岡崎市)と同形式の六葉素弁文軒丸瓦(ろくようそべんもんのきまるがわら)、八葉素弁文軒丸瓦(はちようそべんもんのきまるがわら)、山茶碗、火舎(かしゃ)(注.2) 、多口瓶、大甕の破片などが出土している。さらに鴟尾(しび)(注.3)の破片が出土したことにより、金堂が存在したことが判明。奈良の唐招提寺と同程度の規模の寺院であったと考えられている。
往時の物か否かは定かではないが市杵嶋姫神社の裏手に多数の石仏が集められた一角を残すのみで、周辺は住宅地となり当時を偲ぶものはないにもない。

次の予定もあり、限られた時間をすべてここで使う訳にもいかず、心残りを抱えたまま高木町を後にした。
(画像は別郷廃寺跡の解説板)

注.1 異聞抄(他県)の愛知県に掲載の「高城町の廃屋」参照。
注.2 仏事に用いる蓋のついた香炉。火舎香炉。
注.3 宮殿、仏殿などの大建築の大棟の両端に取りつけた鳥の尾の形の飾り。沓形(くつがた)ともいう。



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