幽霊屋敷

幽霊屋敷と呼ばれていた頃のパブロバ記念館 H.N.じゅんちゃん様からメールで神奈川県にある「幽霊屋敷」についてリポートを戴いた。
情報を提供下さったじゅんちゃん様にこの場を借りて改めてお礼申し上げます。

以前、鎌倉の近くに住んでいた時に聞いた「幽霊屋敷」の話を書かせてもらいます。
鎌倉の七里ヶ浜を走る国道134号線のすぐ傍に『鎌倉パブロバ記念館』(日本バレエ発祥之地)という洋館があります。近年は日本のバレエの草分け的存在エリアナ・パブロバ(Eliana Pavlova、Еле́на Па́влова)の遺品などを展示していたようですが、平成8年(1996)10月に閉鎖されています。
今はもうそんな話も聞かなくなりましたが、昭和60年(1985)頃はこの洋館(=鎌倉パブロバ記念館)は海風に晒されボロボロで“幽霊屋敷”と呼ばれていました。
当時、この洋館では2階の部屋に青白い光が灯り、幽霊がバレエを踊るという噂がありました。
聞いた話では、今から80数年前(管理人注:大正9年(1920))にロシアからエリアナ・パブロバという女性が日本にやって来て、日本にクラシックバレエを紹介、何年か後(管理人注:昭和2年(1927))にこの地にバレエ教室を建て、多くのバレリーナを育てたそうです。
そして、やがて日本に帰化した(管理人注:霧島エリ子と改名)そうですが、太平洋戦争が始まると日本軍慰問旅行に同行し、その途中で中国の南京で39歳という若さで戦病死されたそうです。
その後も、残された母親、妹がその意思を継いでバレエ教室をしていたそうですが、戦争などのどさくさでやがてバレエどころではなくなり、いつしかパブロバの事もバレエ発祥の地である事も人々から忘れ去らていったようです。
そして、バレエへの熱い思いと戦争の悲劇を伝えるためにその幽霊は今もこの地で踊り続けるのだそうです。
(中略)昔の写真ですが添付しておきます。お役に立てれば幸いです。

「鎌倉パブロバ記念館」は現在第三者の手に渡った(譲渡された?)ようだが建物は今もそのまま建っているということである。






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