一龍旅館

一龍旅館跡
大阪府の南部、和歌山県に近いある有名なお寺のすぐ近くに朽ち果てた一龍旅館(一柳旅館は誤記)という旅館があった。
そこは綺麗に整備された小高い丘の公園の麓の一角にあり、そこだけが周囲と違った異様な空気を放っている。
この朽ち果てた旅館には様々な奇怪な噂があり、関西方面ではかなり有名な心霊スポットの一つとなっている。
主だった噂をまとめてみると次のような話である。
そもそもこの旅館は京都の金閣寺を模して作られた料亭を兼ねた旅館であったという。4階建てで、本館と別館があり、別館には大きな池(釣堀)沿いに作られた渡り廊下で行くようになっていた。

今から50年ほど前(昭和28年(1953)前後?)とも20年ほど前(昭和59年(1984)前後?)とも言われるある日のこと、ある経営者一家が事業に失敗、経営不振から多額の借金を抱えた。そして、この旅館を最期の場所と決め一家心中をしたという。
また、別の噂では今から30年ほど前(昭和50年(1975)前後?)に大規模な火災を起こし、その火災により多くの従業員や宿泊客が亡くなったという話もある。
また、惨殺事件があったという噂もあるが、噂はどこまでいっても噂の域を出ないのでどこまでが真実なのかは定かではない。
しかし話はここで終わらないのである。
一家心中か火災だったのか定かではないが、兎も角、何らかの事件が在りそれにより徐々に客足が遠のき、やがて旅館の経営は落ち込んでいった。そして、それを苦にした女将が旅館の庭の桜の古木で首を吊って死んだというのだ。また、別の話では、女将が殺害されたという話もある。

その後、主を無くした旅館は荒れるに任せ、無残な姿へと変わっていった。
そして、(正確な年月は不明だが)旅館が廃業して10年ほど経て、様々な奇怪な噂が囁かれ出したのである。
まず、侵入しただけでタタリがあるという話に始まり、女将が首を吊った桜の古木には亡くなった女将の姿が浮かび上がるというもの。中に入ると、苦しそうな呻き声が聞こえた、誰もいないはずなのに足音が聞こえた、悲鳴が聞こえる、一家心中した家族の霊が現れる、浴衣姿の上半身だけの女性が現れた、肝試しで浴室に侵入した人が数日後に原因不明の亡くなり方をしたというものまで、噂は様々である。
新しいものでは、平成14年(2002)に廃墟となった旅館から白骨死体が発見されたという噂などもある。

また、この廃旅館のある小高い丘になった公園は全体が森になっており、この公園でも数多くの心霊体験が報告されている。
公園の中で人魂を見たとか、居ないはずの人の気配が何処までも付いて来たとか、何者かに腕をつかまれたといった話がある。
釣堀の傍らに残る「一龍フィッシング」の文字 さて、それではなぜそのような廃墟が取り壊されずに綺麗に整備された公園の一角を占拠しているのだろうか?
噂では暴力団関係者がここをアジトとして使っているからだという話もあるが、アジトとして使うならもっとマシな場所を使うだろう(笑)
それは、この廃旅館を取り壊そうとすると必ず工事関係者に死者が出るとかで、後難を恐れて誰も取り壊そうとしないのだという。

しかし…
工事関係者の死亡の話は定かではないが、私が地元で聞き取り調査をした範囲では一家心中も火災も女将の自殺も聞いた事が無い、あるいはただの噂だという話だった。
一家心中の件に関しても、当時の新聞で報道されたというくだりをいくつかのサイトで散見したが、(一家心中があったといわれる)年代もまちまちで、私の調べ方が足りないのかも知れないがそれらしい話は聞くことが出来なかった。

平成14年(2002)10月。その旅館を訪れてみる。
運悪く公園を挟んで丁度反対側で探していたらしく、いくら周囲を探してもそれらしい廃旅館は見当たらない。
そこで私は傍にあったお寺のお坊さんにその廃旅館の所在を尋ねるという無茶なことをしてしまう。
お坊さんは特に訝る様子も無く、丁寧にご説明くださった。教えて戴いたとおりに公園の中を通り抜けると、なるほど確かに目の前にそれはあった。
しかし、そこで私が見たものは、重機の佇むなか、すでにその2/3ほどを解体された一龍旅館であった。
時既に遅し… 池に面した車道側から見ると、僅かに別館の方が残っているようだったが、それが解体されるのも時間の問題だろう。
こうしてまた一つ、伝説は消えてゆくのだろう。



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